ティコ魔法堂。そこの女主人であり古代魔術を操るティコと、その奴隷のルヴェルが営む錬金術のお店。そこに、今日もシオが訪れていた。
「七夕祭り?」
 渡されたチラシを見て、ティコが怪訝そうな顔をする。
「はい。今日、広場でイベントがあるみたいなんですよ。よかったら、参加しませんか?」
「中々楽しそうな企画じゃな」
 店の奥から、ルヴェルが顔を出して答える。
「そうね。じゃあ、ルヴェル君を留守番にして、私だけ参加しようかしら」
 ティコが不敵な笑みを浮かべて言う。完全に、ルヴェルに対しての嫌がらせだ。
 ルヴェルはそれを覚悟していたらしく瞬き一つもしないで答える。
「師匠。イベントは夕方からじゃから、すでに店は閉まっていますぞ」
「じゃあ、今日だけ夜まで営業しようかしら」
 さらにティコが言う。ルヴェルはただ深いため息をつくしかない様子だ。
「じゃあ、私、他の人も誘ってくるので」
 シオはそういうと、元気に店を出て行った。
 残されたルヴェルとティコは、まだなにやら話している。
「それなら、私の実験で作った花火も打ち上げてみようかしら。あら? ルヴェル君、私の話を聞かないで何考えているの?」
 話を上の空という感じで聞いていたルヴェルに、ティコは窘めるように尋ねる。
「今日は七夕以外にも別の何かがあったような気がするのじゃが」


 シオは手に持ったメモを見て、ティコとルヴェルの名前を黒く塗りつぶす。
 その紙には、祭りに誘う人のリストが書かれていて、すでに、イヴ、アイト、ヤヨイ、クリックの名前は消されていた。
 そして、残っているのはフィルとシバであった。
 本当はフィルを一番最初に誘いに行ったのだが、留守であったため、後回しとなっていた。
「よぉ、シオさん」
 急に呼びかけられ、シオの背筋に悪寒が走った。
 振り向くと、いつも不機嫌顔のシバが、今日は笑顔でたっていた。いや、笑顔ではなく、営業スマイルだ。
「シオさんに頼みがあってね。写真集を出そうと思ってるんだよ。何しろ、シオさんは、いまやイシュワルドのアイドルだからね」
 シバは不敵な笑みを浮かべて言う。
 シオの写真は現在、数百、数千という単位でイシュワルド中に出回っている。当然、シオの許可はなく。シオがそれを知ったときはすでに手遅れで、シオのファンクラブなるものまで出来上がって、かなり困ったことにもなったことがあった。
「いやよ。シバも、そんな変な商売ばかりしてないで、まともに働いたほうがいいわよ」
 シオがそう言うと、シバの顔が急に不機嫌になる。いや、これが元々の顔だ。
「うっせえな。それより、お前一人か? てっきり、フィルの奴と一緒だと思ったんだが」
「フィル君なら留守だったの。また釣りにでも行ってるのかな」
「こんな日に釣りに行かないだろ」
「だよね。今日は七夕だから、町中賑やかだもんねぇ」
 大通りの露天にしても、七夕の飾りつけで賑わっている。
 それを見てシオが感想を漏らしたのだが、それを聞いたシバが含みのある笑みを浮かべる。
「そうか、フィルの奴、お前には何も言ってないのか」
「え? シバ、フィル君が何をしてるか知ってるの?」
「さぁな。それにしても、警備隊の連中、こんなもんに金かけやがって。人様の税金を何だと思ってるんだ」
 シバははぐらかしながら、七夕の飾りつけに文句をつける。七夕の飾りつけの費用の一部を、警備隊が出しているという話は有名であった。
「シバ殿。それは誤解でござるよ」
 後ろから、独特のある語尾を持った男が現れた。第六特殊警備隊隊長のヘルシンキである。
「確かに、警備隊の費用の一部は国からの援助もござるが、ほとんどはスポンサーからの援助による独自の収入により成り立っているゆえ……」
 ヘルシンキがそこまで言うと、シバが全てを理解したように続ける。
「なるほどね。この七夕も、一種の警備隊の宣伝というわけか。確かに、七夕の飾りだけで、大物のスポンサーが集まるといえば、得かもしれんな」
「流石はシバ殿。理解が早くて助かるでござる」
 ヘルシンキは素直にシバを褒め称える。
「シバって、やっぱり金の亡者だね」
 シオがじと目でシバを見つめる。
「うるせぇ。てめぇ、用事が無いならとっとと帰れ」
 シバはそう言って、シオを遠ざけ、その後、なにやらヘルシンキ相手に話を始める。どうやら、七夕の会場においての商売で、警備隊のお墨付きが欲しいという話だそうだ。シバはヘルシンキが苦手なのだが、商売となるとそんなのは関係ないという様子である。
 これなら、ほうっておいてもシバは七夕に参加するだろうと思い、シオはフィルを探そうと心当たりのある場所に向かった。


「フィル君? フィル君なら、仕事で街の外に行ってるわよ」
 心当たりその一で、シオはその事実を知った。
 場所はギルドの受付。フィルは一応、第六特殊警備隊に所属はしているが、そこでの給金だけでは生活できず、ギルドでの仕事と兼業している。そのため、仕事で出かけているのなら、ここで聞けばわかるだろうとシオは思っていたのだ。
「サラサさん、フィル君、何時ごろ帰ってくるかわかりませんか?」
「そうねぇ」
 サラサは読んでいた本をしおりを挟んで閉じ、なにやらノートを取り出す。
「フィルくんの場合、今回のケースの仕事の成功率は七〇パーセントで、平均時間は七時間。たぶん、今日の夕方には帰ってくるんじゃないかしら? 仕事が終わったら、ここに報告に来ると思うし、何か言伝でも受けておきましょうか?」
「あ、はい。じゃあ、フィル君に……」
 シオは言いかけて、途中でやめた。街の外に行っているということは、フィルはおそらく魔物と戦っているのだろう。未熟な腕で必死になって。おそらく、帰ってきたときは、ぐったりして動く力も残っていないはずだ。下手をすれば怪我をしているかもしれない。
「いえ、やっぱりいいです。それより、サラサさんも行きますか? 七夕祭り」
「えぇ。友達に誘われていたから行こうと思ってたの」
「そうなんですか。私も行きますから、向こうであえるかもしれませんね」
 そういうと、シオは笑みを浮かべて、その後何回か言葉を交わす。が、ほとんど頭に入ってこなかった。


 聖イシュワルド広場では、すでに催し物が多く出回っていた。
 屋台はもちろん、子供たちの聖歌の合唱や、イシュワルドの歴史を元にした劇、その他多くのイベントが執り行われている。
「あれ? シオちゃん。フィル君は一緒じゃないの?」
「あ、イヴちゃん。フィル君、仕事なんだって」
「えぇ、フィル君いないんじゃ、こんな祭り参加しても意味ないじゃん」
「それが人にさんざんおごらせた奴が言う台詞か?」
 イヴの後ろで、アイトがなにやら多くの荷物を持っていた。
「いいじゃない。アイトもどうせ一人で暇だったんでしょ。今日はつきあってよね。流石に、イヴが一人で歩くとナンパとかされて困るし」
 やや自意識過剰な表現が入ったイヴは、そう言ってアイトをつれてどこかに行ってしまう。
 次に出会ったのは、ヤヨイとクリックであった。手をつなぎ、シオに声をかけた。
「シオちゃん、こんばんはッス」
「やぁ、シオさん。お一人ですか?」
「ヤヨイちゃん、クリック君、こんばんは」
 シオが笑顔で声をかける。
 ヤヨイとクリックは、シオの知る限り、もっともラブラブなカップルであった。また、二人ともシオより年下なのだが、しっかりしており、特にクリックの古代魔法の研究の腕は、あのティコも認めるほどである。
「フィル君は、一緒じゃないんですか?」
「フィル君、お仕事なんだって」
 また同じ質問であった。とりあえず、先ほどと同じ説明をするが、さすがに、何度も聞かれて、シオも考えてしまう。
(私って、そんなにいつもフィル君と一緒にいるイメージがあるのかなぁ)
 言われて、シオはイシュワルドの移民船でフィルと出会ってから、これまでの間、どれだけの間一緒にいたかを考えた。
 すると、不思議なことに何も浮かばない。
 一緒にいた時間が少ないのではない。多すぎて、いつも側にいるのが当然になっていたのだ。と同時に、先ほどからの心のもやもやにも説明がつく。
(そっか、私、フィル君がいなくて寂しかったのかも)
 口には出さないが、それがシオの結論であった。
 ヤヨイたちと会話を少しした後、さすがにシオでも、あまり長い間はなすと二人のデートの邪魔になると思って別れを告げた。
 また一人きりになって、シオは祭りを見て回っていた。
 イベントブースの片隅で、サラサがなにやらおかしなものを配っていた。
「サラサさん、何してるんですか?」
「友達に祭り誘われたって言ったでしょ。その友達の仕事をちょっと手伝ってあげてるのよ」
 サラサはそういうと、一枚の長方形の紙をシオに渡した。
「これ、短冊って言ってね、願い事を書いて笹の葉に吊るすと願いが叶うっていうのよ。ロマンティックでしょ。どう? 一枚書いてみる?」
「いいんですか?」
「いいのよ。配り終えたら仕事も終わるし。何枚でも持って行って」
 サラサはそう言って数枚の紙をシオに渡そうとするが、シオはそのうちの一枚だけを受け取った。
 そして、何を書こうか考えた。
(私の目的は、お父さんを探すことだったんだけど)
 シオの父、フロイドとは少し前に再会できた。その点で、目的はもうすでに達成されている。
(じゃあ、剣の腕をあげること?)
 これは願い事にすることじゃないとシオは思った。それは本人の努力しだいだとシオは知っているからだ。
 結局、その場では答えが見つからず、シオは他の短冊を見て回ることにした。ほとんどは、子供が将来の夢や欲しいものを書いていた。
 だが、一本だけ、サラサの机の横の笹だけは妙な願い事が吊るされている。おそらく、サラサは知り合いやいろんな人に短冊を渡したのだろう。
『金』『ルヴェル君の不幸』『お姉さまとラブラブ』『フィル君とラブラブ』『立派な騎士』『かわいい彼女』『女』『不真面目な隊長達が真面目に働きますように』『犯罪者のいない街』『みんなが平和になれますように』『自由』『自由』『自由』『自由』
 シオは、同じ執筆で続く『自由』の文字に込められた思いに苦笑いしながら、自分の願いを改めて思い直してみた。
 そして、サラサに借りた鉛筆を握り締めた。


 祭りも終盤に向かい、シオは小さくため息をつく。
 楽しんでなかったといえば、嘘になる。一応、出店の屋台の食べ物はほとんど食べたし、可愛い小物も売っていて、気に入ったものをいくつか買った。
 それでも、やはりどこか寂しいものがある。
「フィルくん、無事に帰れたかな」
 噴水の前で、シオはポツリと呟いた。
 その時であった。
「シオっ!」
 フィルが急いでこちらに駆けつけてきた。
 一瞬、シオの鼓動がドクンッとなったが、平静を装い、
「あ、フィル君。大丈夫だったの? 魔物と戦ったんでしょ」
「うん。大丈夫だよ。それより、シオに見せたいものがあるんだ」
 そういうと、フィルは花飾りを差し出す。
 シオはそれに見覚えがあった。
「これ、アルペガントの花?」
 シオは一度、フィルからこの花を受け取ったことがあった。フィルがシオの誕生日だと勘違いし、シオに送った花である。この花の花飾りは、永遠に枯れないことから、かなり高値で取引されているという話をシバに聞かされたことがある。
「うん。咲くのは五年先だと思ってたんだけど、ギルドの仕事でこの花を輸送する商人の護衛があってね。一本だけ、譲って貰ったんだ」
 ちなみに、それを先ほどシバが花飾りに加工したそうだ。
 シバは、最初からフィルの計画を知っていて、シオに黙っていたそうだ。もっとも、シバのことだからフィルから加工代金をかなり請求しているのだろうが。
 それに、アルペガントの花はかなりの貴重品だ。おそらく、護衛の仕事の給料が零になるのも承知の上でアルペガントの花を受け取ったのだろう。
「でも、なんで? 今日はただの七夕の日で」
「シオ、今日は本当の誕生日でしょ」
「え?」
 シオは古い記憶を頼りに考え、ようやく思い出した。
「あ、本当だ。全然気づかなかったよ」
「やっぱり、忘れてたの?」
「うん。でも、忘れててよかった」
 シオは、フィルから花飾りを受け取りながら満面の笑顔で言う。
「忘れてたから、今、こんなにうれしいのよね」
「シオ。喜んでもらえてうれしいよ」
 シオとフィルが見つめ合っていた、ちょうどその時であった。
 二人の横で大きな音が上がった。
「わぁ、綺麗」
 シオが思わず、呟く。
 いつの間にか暗くなっていた星空に、七色に輝く花火が上がっていた。
「シオ。この後、一緒にお祭り回ってくれないかな?」
「うん、いいよ」
 二人が約束を交わした――刹那。
 いままでで一番大きな音とともに、花火の打ち上げ会場と思われる方向で大きな爆発が起こった。
「大変だっ! 爆発したぞ」
「ティコ魔法堂の花火だそうだっ!」
 花火会場はすでに大混乱になっていた。
 ヘルシンキをはじめ、警備隊の人間が鎮圧に向かっている。
 そこに、他の警備隊の人間がが慌てて駆けつけた。
「大変ですっ! 隊長」
「今度はどうしたっ!」
「街の外から魔物が大量に押し寄せてきます」
 街は大混乱になった。


「……師匠ぅぅ」
 花火の中心地にいたルヴェルが黒こげになりながら呟く。
 同じく花火の中心地にいたティコはなぜか無傷で答えた。
「やっぱり、花火に魔物を寄せる効果をつけたのはまずかったわね」
 原因はやっぱりこの人であったらしい。


「第一、第二、第三、第六警備隊は魔物の駆除に。第四、第五警備隊は住民の避難に向かえ。あと、ギルドにも応援の要請を出せっ!」
 魔物の襲来を受け、休日を取っていた大隊長のベールギュントが警備隊の指揮を取る。
「了解」
 その掛け声とともに、ヘルシンキ、ナロ、ディリーク、ダッツ、ウェゼリー、クレエステル、六人の隊長がそれぞれの持ち場へと展開していった。

 ギルドから正式に依頼が出る前に、すでに、フィルとシオは走り出していた。
「フィル君。私たちも行きましょ。私の背中はフィル君に任せていいかな?」
「うん、シオ。任せてよ」
 シオに少し認められたことを知って、フィルは意気揚々と戦場へ行く。

 幸い、その日の魔物との大攻勢で死者、重傷者は一人も出ず、無事に魔物を退けることができた。
 そして、誰もいなくなった七夕会場で、けが人の手当てを終えたシスターが短冊の願い事を見て微笑んでいた。

『フィル君がもっと頼れる男の子になれますように』