海洋都市イシュワルド。
 貿易都市として栄え、さらに温暖な気候に恵まれた緑豊かな街である。
 だが、光あるところに影は必ずあり、盗賊団が跋扈したりなどと犯罪も多く、さらに周囲の森や山、洞窟に棲む魔物の存在もまた大きな問題となっている。
 そのため、警備隊の仕事の数も山のように存在し、その資料の整理だけで一日が終わることもある。
「ごめんね、フィル君。手伝わせちゃって」
 リンテレットが残り僅かの書類を整理しながら、申し訳なさそうに言う。
「どうせ俺も暇でしたから」
 フィルは笑顔を浮かべて資料の詰められたダンボール箱を棚に運んでいく。
 この部屋にあるのは、過去一年分の第五部隊の決済書類である。本来、第五部隊隊長のクレエステルがこの書類の処理をしなくてはいけないのだが、リンテレットが第六特殊警備隊に所属替えとなってから、リンテレットに頼りきりだったクレエステルが処理しきれず、たまりにたまってこの量となってしまったのだ。
 年末決済に向けて、先週からリンテレットとクレエステルの二人で書類処理をしていたのだが、クレエステルが昨日、慣れない仕事によって倒れてしまい、そのためリンテレットが残りの書類を一人で処理していた。それを見かねて、フィルがせめて書類整理だけでもと手伝いを申し出た。
 それから三時間後。ようやく全ての業務を終えようとしている。
「これで、最後っと」
 フィルが最後のダンボールを持ち上げる。一番上の棚のため、フィルの身長よりも高いのだが、手を思いっきり伸ばしてようやく棚に乗せた。その時であった。

 ダンボールが何かに当たり、その何かが床に落ちる。
「あら?」
 リンテレットは落ちてきたそれを見て、思わず声をあげ、拾い上げる。
「こんなところにあったのね」
 彼女は感慨深げという様子で黒皮のノートを捲っていく。
「なんですか、それ?」
 ダンボールを安定できる場所まで押し込んだフィルは、リンテレットに尋ねた。
 リンテレットは微笑んで、ページを捲りながら答える。
「部隊日誌よ。私が第六特殊警備隊の配属になるまで書いてたんだけど……あぁ、やっぱりクレエステル隊長ったら何も書いてないわね」
 ため息交じりでリンテレットは答えた。ため息の中身のほとんどは諦めであろうことがフィルにも伺える。
「そうだ、せっかくだからフィル君もちょっと読んでみる? 隊員の閲覧は可能だから」
「第五警備隊のことはあまり詳しくないんですけど」
 フィルは遠慮気味に答える。
「そうね。でも、これなんてどう? ヘルシンキ隊長のちょっと困った話だからフィル君も興味あるんじゃない?」
 言われて、フィルはその日誌を受け取る。
 ヘルシンキにあこがれて警備隊に入ったフィルにとって、ヘルシンキの困った話というのは興味がそそられるのは仕方の無いことであった。

 日付は、今から二年も前になる。
 その日、第一警備隊が武器密輸を生業としていた盗賊団を壊滅させ、第五警備隊がその後処理として盗賊団のアジトの武器を押収、警備隊の倉庫に持ち帰った。

「失礼するでござる」
 変わった口調とともに、当時、第一警備隊隊長であったヘルシンキが入ってきた。そして、押収品の中の刀剣から一本を選び、鞘から抜いて刀身を眺める。
「あ、ヘルシンキ隊長。そちらも証拠品ですから、あまり触らないでくださいね」
 リンテレットが武器の押収品リストと武器を見比べながら、ヘルシンキに注意を促す。
「すまぬ。この刀から、妙な気配が感じられたゆえ」
「妙な気配……ですか?」
 真剣な口調のヘルシンキに気圧されながらも、リンテレットが恐る恐る尋ねた。
 ヘルシンキは無言で刀身を鞘におさめ、元の位置に置く。
「いや、気のせいでござった」
 ヘルシンキはそういうと、扉のところで一度振り返り、そのまま去っていく。
 リンテレットは少し気味悪がりながらも、刀に触れなければ問題ないだろうと仕事を再開した。

「リンテレットさん。仕事は終わったの?」
 休憩室のテーブルに伏せていたリンテレットの前に、クレエステルがコーヒーを置く。
 リンテレットは苦笑いを浮かべながら、「隊長がもっとしっかりしてくれていたら、数時間前に終わってますよ」と皮肉を述べた。
彼女は本当にクレエステルを責めているわけではないことはクレエステル本人もわかっている。リンテレットとクレエステルは長い付き合い、というわけではないがそれなりの上司と部下としての関係を気づいており、気心知れた仲になっている。だからこそ、リンテレットは上司である彼にきつい言動を述べ、しっかりと仕事をしてもらおうとしている。
それをわかっているからこそ、クレエステルもまた苦笑いしかできない。
 リンテレットは、とりあえず休憩を終え、コーヒーを飲み干すと、立ち上がる。
「隊長、コーヒーおいしかったです。私ももう少ししたら帰りますんで、隊長は先に帰ってくださって結構ですよ。明日も仕事があるんですから」
 リンテレットはクレエステルにそう述べ、クレエステルは笑顔で頷く。そして、彼女は一人で再び倉庫に向かっていった。
 すでに夜も遅く、隊員もほとんどが宿舎に戻っている。
「私も早く帰って、柔らかいベッドで寝たいなぁ」
 最近は特に残業業務が多くなってきている気がする。不規則な生活が続くと健康状態によくないとわかっているのだが。
「あれ?」
 リンテレットがあることに気づいた。
 目指している倉庫から、灯りが漏れているのだ。
「誰かいるのかなぁ」
 恐る恐る扉から中を覗き込む。
 そこで、信じられない光景が存在していた。
 ヘルシンキが一人で素振りしている。それだけならただの訓練ともとれるだろう。だが、その手に持っているのは、先ほど、ヘルシンキ自ら妙だと言っていた刀である。しかも先ほどと違って、その剣からなにやら青色のオーラが溢れている。
(なんなの、あれ?)
 リンテレットは思わず息を呑む。ヘルシンキは刀からオーラが溢れていることを知ってか知らずか、一心不乱に剣を振り続けている。
 見てはいけないものを見てしまったような気がして、リンテレットは一歩後ずさりする。さらに、二歩、三歩と後退し、踵を返して一目散に走り出していた。
(あのヘルシンキ隊長、普通じゃないっ!)

「隊長っ!」
 控え室に入ってリンテレットは叫んだ。
 それを、一人の男がいぶかしげに見つめる。
 ディリークであった。
「ディリーク隊長、クレエステル隊長を見ませんでした?」
「クレさん? クレさんならさっき帰ったぜ。今頃宿舎じゃないか?」
 そうだった。
 さきほど、リンテレット自ら隊長に帰るように促したのであった。
 宿舎に呼びに行くか考えるが、目の前にいるディリークを見て考えを改める。
「ディリーク隊長、ちょっと来てください」
 リンテレットがディリークの腕を強く引く。
「なんだ、リンちゃん。デートの誘いか? 俺はいつでも」
「バカを言って茶化さないでください。大変なんですよ!」

「確かに、ありゃ異常だな」
 リンテレットが事情を説明すると、ディリークはリンテレットの見間違いだろうと笑いながら、倉庫に行った。そして、すぐに休憩室に戻ってくる。
「おかしいですよね。あれ、絶対何かにとり憑かれていますよ」
「そうだな。原因はあれだろうな」
 ディリークは部屋の本棚の中から何かを探して持ってくる。
 その本は、警備隊が定期購読している武器マガジンという本であることはリンテレットも知っていた。確か、その月の特集は。
《呪いの武器特集》
「どこかで見たことあると思ったんだ。ここに書いてあるぞ」
 ディリークが本をリンテレットに見せた。そこに、ヘルシンキが振っていたのと同じ刀が描かれている。
《妖刀朧月》
 刀を持つものの意識を操るという呪われた刀である。
 それを、ヘルシンキが持っていた。
「まさか、ヘルシンキ隊長」
「たぶんな。まさに鬼に金棒ってか。本気になったあいつは俺でも止められないからな。俺はとっとと退散するぜ。ダッツに助っ人を呼びに行くように頼んだから、あとはそいつと頑張ってくれ」
 言うが先か逃げるが先か、触らぬ神にたたりなしとディリークは早々に部屋を出て行く。リンテレットが呼び止める暇も無い。
 そして、部屋に彼女一人残された。
「どうしたらいいのよ」
 ディリークでも敵わないヘルシンキ隊長が暴走している。大隊長は今、王都に呼び出されてしばらく帰ってこない。
 このままディリークみたいに逃げ出せたらどんなに楽か。
 だが、彼女の性格がそれをよしとはしなかった。
 そんな時、一人の客が訪れる。
「あの、リンテレットさんでしょうか?」
 修道服に身を包んだ若い女性が、リンテレットに尋ねる。
「えっと、シスターさん?」
「はい。ソフィアと申します。呪われた品がこちらにあるとかで、引き取りに参りました」
 ソフィアは丁寧に述べる。
(なるほど、ダッツ君が呼びに行った助っ人って彼女のことだったの)
 確かに、呪われた武具については専門家だろう。
「わかりました、こちらです」
 部外者の人に隊長の失態を見せるのはよくないと知りつつも、リンテレットは藁にもすがる思いで彼女を倉庫に案内した。
 ソフィアを傍に待たせ、先にリンテレットが部屋の中を覗き込む。
 中ではヘルシンキが笑顔で刀を磨いていた。
(あの隊長があんな表情するなんて……)
 普段仏頂面のヘルシンキだからこそ余計に怖い。おそらく、これから人を殺めに行くのだろう。
「確かに、あれは妖刀ですね」
 いつの間にか、ソフィアがリンテレットの前に出て、さらに中に入っていく。
「待ってください、シスター! 中は危険です」
 小声でリンテレットが止めるが、ソフィアはそれを気にも止めず、中に入っていく。
「ヘル君。ダメじゃない。呪われた武器をそのままにしてたら」
「なっ、ソフィア。どうしてここに?」
 ヘルシンキが驚愕の表情を浮かべる。
(あんなに隊長ったら汗を垂らして……それより、あの二人って知り合いなの?)
 どうやら、ヘルシンキは正常な状態に戻ったらしい。いや、状況からして最初から呪われていなかったのではないのだろうか。
「ヘル君の様子がおかしいって、部下の方が心配していらしたの。ダメですよ、またこんな危ないものを持って」
 そう言って、ソフィアは《妖刀朧月》をひょいっと取り上げる。
「ソフィア、それは!」
「これはきちんと教会で清めますね」
「しかし、それでは刀としての価値が……」
 ヘルシンキは食い下がるが、ソフィアはヘルシンキの物言いを聞こうともせず、刀を持ったまま倉庫を出る。
そして、リンテレットに告げた。
「刀を清めるための聖水の代金は、どちらに請求すればよろしいでしょうか?」
「えっと」
 リンテレットは事の成り行きに頭がついていけず、とりあえず請求先を述べた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 日誌を読み終え、フィルはため息交じりにそれを閉じる。
 結局、事件の結末は、ヘルシンキは刀にとり憑かれていたわけではなく、ただ刀剣マニアとして刀を振ったり磨いたりしていたというわけだった。
 どうして《妖刀朧月》にとり憑かれなかったのかはわからないが、おそらくヘルシンキの強い意志と刀への愛情が妖刀の力を跳ね除けたのだろうと日誌では推測していた。
「ヘルシンキ隊長って、刀マニアなんですね」
「えぇ。それも飛びっきりのね」
「はぁ」
 フィルは頷きながらも、変な人ばかりが隊長をするこの警備隊に入隊したことに、後悔せざるをえなかった。