カルヴァーンの塔――通称水色の塔。 恐ろしい魔物がいると噂されている塔だ。 一度シオが魔物退治を引き受けたこともあるが、近頃また物騒になってきたらしい。そんなギルドの言葉を受け、シオは再び探索を始めることにしていた。 最初は一人で登っていたが、今日からはフィルも一緒に赴くことになった。 入った当初、塔という狭い空間で探索をすることに慣れていない様子のフィルだった。しかし、一階、二階と上がるにつれ、少しずつ慣れてきているようだ。一日でこれだけ慣れてきたのだから、大したものかもしれない。 フィルのなめらかになってきている動きを見ながら、シオは心が少し踊るのを感じた。 えへへ。さすが、フィル君。 それでも、休憩もあまりまともに取らずに上がってきた。やはり疲れが見えてきた気もする。何となくの勘だが、あと一、二階登ったら強い魔物が出てくる気がする。このままではいけない。 うん。そろそろだね。 戦いを終え、剣に布を当てているフィルに、シオは声をかけた。 「フィル君! 疲れてきたでしょ。そろそろ休憩にしよ!」 「う、うん……」 まだ息が荒い。少し無理をさせてしまったのだろうか。 「じゃあ、俺……焚き火の準備……する」 「お願いするね」 フィル君、初めてだったのに。もうちょっと早く休憩した方が良かったかなぁ。 申し訳なく思いながら、荷物から薪を取り出すフィルを見つめた。肩の上で、鳴き声がひとつした。 「シータも疲れたよね。ゴメンね。無理させちゃった」 謝ると、シータは気にしていないという風に地面へ降り立った。 「うん、魔物来ないように魔除けするから、いっぱい休もうね」 軽くシータをなでてから、シオは袋から魔除けの香水を取り出した。 魔除けを行ったら、いよいよフィルとほとんど初めてのキャンプだ。ここに行き着くまでは、軽く旅人の食料、いわゆる簡易食料をかじってすぐに出発という程度の簡単なものだった。 初めてかぁ。 シオは顔が明るくなってくるのを感じた。 「私の方の準備は大丈夫だよ! お腹減ったし、何か食べようよフィル君!」 「ゴメン、シオ、俺はまだ薪に火をつけているところだから……。ほら、シータも寒がってる」 降りたったはいいが、思ったよりも床が冷たかったらしい。シータは軽く震えている。 「あ、ゴメンね。フィル君、シータ」 そんなことがありながらも、フィルは焚き火の準備を終わらせた。火がパチパチと燃え始める。飛び火を逃れようと、シータは再びシオの傍へと来た。シオが手を伸ばすと、再びシオの肩に飛び乗った。 「もう、シータってば」 シオは軽く微笑み、焚き火に近づいた。手を伸ばすと、指先がオレンジ色の明かりで照らされた。向こう側に座っているフィルの顔と同じ色だ。 「わあ、暖かいね」 手を動かすと、光と影の場所が入れ替わる。一人の時は考えたこともなかった、何となくな発見だ。 フィルと一緒だからだろうか。シオは視線をフィルへと動かした。 フィルとの、記念すべき初めてのちゃんとしたキャンプだ。 せっかくなんだから、特別なものにしたい。 「うん、今日のご飯は温かいものにしようよ!」 炎とその暖かさから思いついた。冒険先の暖かい料理は何よりも嬉しい。 シオのその言葉にフィルは軽く首を捻った。 「温かいもの……。シオ、今ある食料はイシュワルドパンと小さな青リンゴなんだけど。鍋も調理用具もないし。錬金鍋に入れてみるの?」 せっかくの記念なのに、フィルの言葉は全く積極性がない。 もう、フィル君ったら。 心の中で頬を膨らませてから、笑顔でフィルを見た。 「大丈夫大丈夫! 私が料理するよ! 私に任せてよ!」 シオが力強く言ったら、それ以上の勢いでフィルが立った。今までの疲れた様子もすっかり吹き飛んでいる。 「いや! シオはさっきの戦いで疲れただろ! 俺がやるから、シオは休んでてよ!」 フィル君、ちょっとタイミングは悪いけど、やっぱり温かい食べ物は嬉しいのかな。私が腕をふるってあげなきゃね。 大きい声を出したフィルを見て、シオは微笑んだ。 「そんな気を使わないでよ。ほら、私がやるよー」 「いや、俺がやるよ!」 元気が出てきたらしいフィルは、何度も何度もその言葉を繰り返した。 薪の何本かが黒くなってくるまで続いた言い合いの結果、二人でやることになった。 フィルは荷物から枝を取り出し、布で何回か拭いた。シオは直接火が当たらない程度の距離に石をいくつか並べた。 「終わったよー。フィル君」 「うん、こっちも終わった」 フィルはきれいになった枝に、今回食べる分の小さな青リンゴを刺していた。そして、枝の部分を先ほどシオが並べた石の間に刺していった。宙に浮いた青リンゴが熱であぶられていく。 全部終わってから、イシュワルドパンも同様の作業をし、並べていった。 まもなく、焼きあがった香りが周囲に拡がった。 「うわぁ、いい香りだね!」 シオは大きく息を吸った。 青リンゴの甘酸っぱい香りと、イシュワルドパンの香ばしい香りだ。 色が変わってきたそれらを、これ以上そのままにして焦がさないようにと、フィルは手早く火から離していた。 「美味しそう! 食べていい?」 まだ熱にあてている青リンゴへと、シオが伸ばしかけた腕を、フィルは制止した。 「いや、まだ熱いから食べたら舌を火傷するよ。荒熱を取らなきゃ食べれないよ」 「そっかぁ。もうちょっと辛抱しなきゃかぁ」 そんな彼女の言い方に苦笑しながら、フィルは悔しそうに呟いた。 「温かいものといっても、ここじゃこれくらいしかできないや」 「えぇっ、簡単な手順なのに、すごく美味しそうだよ! フィル君すごいよ!」 「いや……、すごいってほどでもないよ。焼いただけだし」 「焼いただけでも、すごいよ。フィル君、何だか手際が良すぎてちょっとズルイ気もするくらいだし」 本当はシオがフィルのために何かしてあげたかった。フィルがあまりにもしつこいので二人で作るということになったのに、いつの間にかフィルが主体になっていた。 そんな顛末には、少し不服を感じた。だから、シオは軽くフィルを睨んだ。フィルは慌てた表情になる。 「いや、ズルイってそんな!」 どうやら、そんなことを言われるとは全く思っていなかったらしい。どうすれば良いのかわからないといった表情だ。 その様子を見て、シオは噴き出した。 「冗談だよー。フィル君ってば、そんなにびっくりした顔しないでよ」 「え、あ、冗談……なんだ?」 フィルは何回も瞬きをした。出来つつある安心の気持ちと、まだ残っている驚きの気持ちが入り混じっている。何だかごちゃごちゃの表情だ。 「そうだよー。全く、そういうところが可愛いんだから!」 そう言うと、フィルの顔が思い切り固まった。 「あれ? どうかした? フィル君」 「……冗談っていうのは良かったんだけど、可愛いんだからっていうのはちょっと、うん、それはちょっと……さぁ」 「フィル君ー」 シオは何やら呟き始めたフィルに、声を何回もかけ続けた。 しばらくすると、ようやくフィルがシオの方を見るようになった。 「一体どうしたの? フィル君」 「うーん、いや、もっとしっかりしなきゃなぁって……」 「ふーん? でも、二人でやるって面白かったね。うん、やっぱりフィル君と一緒に来てよかった! ものすごく楽しかった!」 塔に一緒に行くことに決まって、買い物等の準備を終え、いざ塔の入り口に立ったとき、実は迷いがかなり生じていた。シータ以外の誰かと一緒に塔を散策するなんて大丈夫なんだろうか。フィルと一緒で大丈夫なんだろうか、と。 しかし、ここまで登ってきて、キャンプの準備をして、一緒に食事の準備をして、シオは思った。 フィルと一緒に来てよかったと。 フィルはますます戸惑った顔になる。 「そんな、俺、シオよりも弱いし、そんな言ってもらえることはしてないよ。迷惑かけてばっかりだと思う……」 「そんなことないよ! フィル君いなかったら、毒状態とかすぐに治せないし、フィル君がいないと無理だったことは多いんだよ!それに――」 シオは焚き火を見た。フィルもつられて焚き火を見る。 「フィル君がいるから、私元気になれるんだよ。フィル君と一緒が一番楽しいんだよ」 余裕があるときは喋りながら探索できて、魔物と戦うときも背中を任せることができて、キャンプのときは準備ができて。 もしかしなくても、一緒に塔に来て喋ることができる人と思うし、他のフィルよりも頼もしくて背中を任せることができる人はいると思うし、キャンプで一緒に準備ができる人もいると思う。 それでも、フィルよりも楽しい気分になれる人なんていないと思う。根拠なんて全くないが、確信していた。 「お、俺もシオと一緒が一番楽しいよ!」 その声に、シオは前を向いた。同時にフィルが前を向いたところだった。目が合った。何だかわからないけれど、お互い、咄嗟に目をそらしてしまった。 沈黙で時を過ごす気にも全くなれなくて、シオは何でこんな妙な雰囲気になっているのかも分からないまま、口を開いた。 「……そ、そろそろ食べても大丈夫だよね。フィル君」 「う、うん。パンも青リンゴもそろそろ食べやすい温度になってきたと思う」 フィルは何度も頷いていた。 そうして、イシュワルドパンと小さな青リンゴの温度を確かめ、同時に猫飯も用意し、食事にすることになった。 シオが青リンゴの串を一本手に取った。 「いただきまーす!」 言った直後に青リンゴをかじる。思ったよりも柔らかい感触で、かみ締めると、口の中に、ジュースが溢れ出た。それを味わいながら、のみこんだ。 「わあ、青リンゴ初めて火にあてたんだけど、おいしいね!」 「砂糖やシナモンがあった方が美味しいんだよね。……猫用のは使っていいのかちょっと悩んで使わなかったけど」 「あはは……。そうだね」 パンも温めた結果、やわらかくなった。今まで一人で食べていたときと味が全く違う。 ……火にあてたから以外も理由があるかもだけど。 ちらりと思いながら、口は違うことがついてでた。 「私、次は焼き芋やってみたいな」 「いいね。焚き火といったら焼き芋だよね」 「だから、次ここに来るときも一緒に、だよ! フィル君!」 シオは微笑んだ。その笑顔を見て、フィルも頷いた。 心もパンや青リンゴと同じかそれ以上に暖かかった。 |