「タイクツだわ……」 それはアンタだけだ! と師匠の言葉に心の中で反論してルヴェルは奥歯をかみ締めながら黙々と店内の掃除をすませていく。 師匠、レミュオールの魔女と呼ばれるティコはだらしなくカウンターにもたれかかって「めんどい」とか「あっつい」などとぼやいている。 ちなみにその席に座ってから仕事と呼べるようなことは何一つしていないのだが、本人曰く「疲労困憊」らしい。そこで何故? とかつっこむと一日が虐待でつぶされてしまうのでぐっと我慢だ。 毎日。毎日。毎日。下手をすると秒単位で予想のつかないティコの相手は大変だ。それでも魔法堂を開店してから多少生活環境が向上したように思う。多少だがへそくりもやりくりできるようになった。上を見ればきりはないし、不満がないわけではないが今の生活より下方修正されなければ万々歳だ。……そう思い込んでるだけかもしれないが。 「ちょっと、ルヴェル君」 幾分か険の混じった声でティコがルヴェルを呼んだ。 「はいはい、なんじゃろうか、師匠」 「ちょっとアイス買って来て。三十秒で」 「……」 またか、という話である。ルヴェルがうんざりした表情を抑えつつ口を開きかけた時だった。 「おはようございまーす」 能天気な声が店内に広がる。ルヴェルは助かった、と即座に思ったが同時に首をかしげもした。 目深にかぶった帽子。すっぽりと小柄な体を覆うコート。大きなカバンを引っさげた少年がニコニコしながらやってくる。弟のクリックだ。 「どうしたんじゃ。こんな朝早くから」 「はいな! 今日はボク、ティコさんにお願いがあってきたんですわ」 「ちょっと、また投資? 他所当たってちょうだい」 「あ、今日はお金のことじゃないんです!」 ティコには珍しく、興味を引かれたような表情を浮かべた。 ルヴェルの弟、クリックはその年齢と容姿から想像もつかないほど古代魔法学に精通している少年だ。その力量は自分をも上回ると密かにティコが認めるほどだ。 とはいえ、その年齢のためになかなか融資してくれる人間がおらず、ティコに投資をしてもらったことがある。 他に店にクリックが姿を現す理由も思い浮かばなかったティコがそう聞いたのも不思議ではない。実兄のルヴェルですらそう思ったのだから「お金のことじゃない」という言葉は二人にとって意外だった。 「じゃあ、何の用なの?」 「ボクをティコさんの弟子にして欲しいんです!」 間。 「はぁ?」 珍しく師弟が声を同じにし、弟子志願の少年はニコニコと笑った。 「最近考えてみたんですけれど!」 拳を握り締め、日にあまり当たらない頬を紅潮させてクリックが言った。 「ボクってばテクも実力もあるのになかなか認められないんですけど、それを打開するためにボク、ティコさんの弟子になろうと思って」 「ちょっと、どういうことなの? 意味がよくわからないんだけど」 呆れ顔でティコがつぶやく。 クリックは確かに頭はいいが、過程や理由をすっ飛ばして結論に飛びつくという癖がある。おかげでよくよく聞かないと言っている意味がよくわからないのだ。 「やだなぁ、ボクとティコさんが組めば最強じゃないですか! 僕がいればこの店はさらに強化されますし、ボクはティコさんという後ろ立てが出来て一挙両得! 誰も損しませんよ?」 「ああ……そういうこと。確かに一理はあるわねぇ」 「ちょっとまて、クリック! お前、自分で何を言っているのかわかっておるのか?」 「トーゼンですよ! ね、いい考えだと思いませんか?」 慌てて思いとどまらせようとする兄の思惑などつゆとも知らないクリックはむしろ目をキラキラと輝かせた。 ルヴェルもどういって思いとどまらせようか、と思いだけ空回りして言葉が出ない。 「そうねぇ、確かにルヴェル君より役に立つかも」 「ちょっ師匠! 何言っておるんじゃ!?」 「ルヴェル君の錬金術の腕をみたら誰だってそう思うわよ?」 「うっ」 まったくもってその通りなので、ルヴェルは二の句を告げなかった。確かに、自分の錬金術の腕は最低を通り越している。 「確かにクリック君を弟子にしたほうが店にとってはいいかもしれないわねぇ……」 「でしょ? でしょ? そうですよね!」 「クリック君の店の収益も私のものになるわけだし」 「ええっ!? それあの……さすがにちょっと」 「何? 弟子ってそういうものでしょ? 全てを私に捧げるのは当然だわ」 真顔でそんなことを言う。クリックは冗談だと思い、ルヴェルは本気だと思った。 「ともかく! わしという弟子がおるし、これ以上増えても困る! 諦めるんじゃ、クリック」 「そうねぇ、確かに二人はいらないかも」 ほっとしてうんうんとうなずくルヴェル。いくらなんでも実弟をこんな地獄の生活に引きずり込むわけにはいかない。 「えー!」 「でも、そうねぇ、それならどれだけこの私の弟子にふさわしいか、見せて頂戴」 にこぉっとティコが微笑む。何か良からぬことをたくらんでいるらしい。 「はいな! ボク、ティコさんの弟子にふさわしいって証明して見せます! それで、どうすればいいんですか?」 「そうね! やっぱり新旧対決って感じがいいんじゃないかしら? そういうわけで、ルヴェル君と対決ね。負けたら追い出すから」 「そうそう、追い出す……え?」 にこやかにそう締めくくったティコにルヴェルは聞きかえす。「追い出す?」 「そうよ、ルヴェル君、負けたら追い出すから」 「はいぃっ!?」 「よーし、がんばるぞ!」 「ま、待て、ちょっとまってくだされ! いったいどういう難問を出そうかとウキウキしているティコ。 試練に打ち勝つことしか考えていないクリック。 その両者に挟まれて硬直したルヴェルは半ば遠ざかる意識の中で「嗚呼、今日は閉店だな」とぼんやりと思った。 「対決! うーん、燃えるわね!」 顔前面に「いい暇つぶしが出来た」とツヤツヤの肌に浮かび上がらせたティコが言った。 本気で楽しんでいるらしい。……わくわくしているクリックの横で体を小さくしながら、ルヴェルはどんな難問を出されるのか、キリキリと痛む胃を抑えながら息を吐いた。 「やっぱり、まずは錬金術の腕を見ないとね。店のものを使って一時間で賢者の石作ってきて」 「け、賢者の石!?」 『賢者の石』。さらりとティコは作れといったが、そうそう作れるものではない。 錬金術師でございと胸をはるのなら最低限作れなければならないものではあるが、少なくとも一時間で作れるような代物ではない。 「はいな! じゃあ、すぐに作りますわ!」 打てば響くとは今のクリックを言うのだろう。うなずき、たたっと店の中品物を見定めてはいくつか手にとっていく。 「ちょっと待て、一時間って……」 「ルヴェル君、ムダ口叩いてる暇なんかないわよ?」 滑らかな指先に絡んだ銀の鎖。その先にぶらさがった懐中時計がゆらゆらと揺れた。 「……っ」 一瞬、ルヴェルは何かを言いかけ、それから店の棚へ走った。 ティコは手のひらにすっぽりと入る、青みがかった金属を両手で包み込んだ。 本来の賢者の石は暖かい。それが命の暖かさであることを知るのは錬金術師のみだろう。 だが、クリックが差し出したこの賢者の石はひんやりとしていた。氷のように身を切る冷たさではなく、ただ漠然とひんやりとしていた。それは手のひらでいくら暖めても一考に温もる気配はなかった。 「いくつかの過程を変更したようね?」 「はいな! 不完全なものを作るより、そっちのほうがいいかと思いまして。持続時間はあまり長くないですけど、しばらくもつはずです」 「そうね。あれだけの時間でここまでの物を創れるのはさすがだわ。花丸あげましょう」 「わあ! ありがとうございまーす」 にっこりと笑い、クリックが頭を下げた。「ソレに引き換え……これどうなのかしらね?」 ティコはぼそりとつぶやき、三角フラスコの底でへたっとなった液体だか固形だかわからないものを睨みつけた。色すら言いようがない奇怪な色をしている。 「ううっ。今のわしではこれが精一杯……」 「基礎のきの字もないじゃない。本当にダメねぇ……」 ぷすん、とソレが蛍光ピンク煙を吐いてどろりと広がった。 「どう見てもクリック君の勝ちね。まぁ、順当かしらね」 「じゃあ! ボクが弟子ですかっ!?」 ぱぁっとクリックの顔が明るくなる。 「たかだか一勝で全ては決められないわよ。そうねー……アイスが食べたいわ」 「アイス、ですか?」 「はいはい、買って来ますじゃ」 くるりとルヴェルはティコに背中を向けて店から出て行く。取り残されたクリックはわけもわからずティコとルヴェルの背中を比べてみる。 「あ、あの。アイスって……えーと」 「アイスよ、アイス。アイスぐらいわかるでしょ。早く、今すぐ!」 きりきりとティコの目が吊り上る。 「あの、お金は……?」 「……」 冷たくティコがクリックを凝視し、慌ててクリックはその場から逃げ出した。 ポケットの中の小銭を確認してそれから左右を見渡す。頭の中で街の地図をさらって一番近いアイスを売っている店を思い浮かべる。 さっさと出て行ったルヴェルはもうすでにアイスを買ったかもしれない。 古代魔法学を研究する上で資金は大切だ。ばかばかしいほど費用が要るのだから。 だが、誰もがクリックを若いと笑い、未熟だと無視する。負けない自信はある。実際のところ、ティコにだって負けないつもりだ。 単独でダメなら誰かに後ろ盾になってもらうことを考え付いたのはティコの投資によって開発したラヴピースがあったからだ。 確かに売れる! 通用する! そんな確信をクリックに与えてくれた。 手早くアイスを購入する。先にルヴェルが来ていないことを首を傾げつつ、慌ててクリックはティコの元に戻った。 「あら、早いわね」 驚いたことにルヴェルは店に戻ってなかった。 錬金術師としての才能はなくとも、ルヴェルの身体能力はすこぶるたかい。自分がアイス屋に行っている間に往復できるだろうに。 不思議に思いながらもクリックはアイスを差し出した。 「はい、アイスです!」 「私が食べたいのはかき氷よ。誰がアイスを買って来いっていったの?」 「え? でも、アイスって言いましたよ?」 やれやれ、といった表情でティコが首を振った。 「まったく、お使い一つ出来ないなんてダメね」 「で、でも!」 「そぅ、口ごたえするの……?」 ゆらりとティコが立ち上がった。 思わずクリックは身をそらした。本能が危険だと声高に叫んでいた。 「ふぅ〜ただいま帰りましたじゃ」 がさがさと両手に袋を提げてルヴェルが戻ってきた。 「あら、お帰り」 すとんとティコが座る。クリックは無意識に安堵の息を漏らした。 「遅かったわね? それで、餡蜜は?」 また違う! クリックは思わず言おうとして慌てて両手でふさぐ。言ったら何か恐ろしいことがおきそうな予感がしたからだ。 「餡蜜……はいはい、ありますじゃ」 ルヴェルはガサガサと両方の袋をあさってからティコの前に置いた。 「あと、羊かんはどうしたの? 羊かん、漉し餡だったら殺すわよ?」 「もちろんありますじゃ」 と、また、ガサガサ。 「ああ、今、クリックとお茶を入れてきますじゃ。しばしお待ちくだされ」 「すぐよ、すぐ。私がすぐといったらすぐなのよ」 「ほら、早く来るんじゃクリック!」 ぐいぐいと兄に引っ張りこまれ、クリックはアイスを手にしたまま店の奥へ引っ張られた。 「ボ、ボク、アイス買ってきたのにどうして……?」 「師匠はそのときに食べたいものをいうだけじゃからな」 そういってルヴェルはガサガサと両手の袋をゆすって見せた。 そこにはジュースやらなにやら冷菓が山ほど入っていた。 「今日の夕食はまた残りもののお菓子じゃのぅ」 ぽつっとルヴェルは疲れ切った口調でつぶやいた。 「つまんないわ、これってルヴェル君の勝ちよねぇ……」 冷えた麦茶をすすりつつ心底ティコがつまらなさそうな口調でつぶやいた。 「最後の勝負ですか!? 僕負けませんよ!?」 「お前、まだあきらめんのか……」 キッとクリックがルヴェルを睨みつける。 「当たり前ですよ! ボクはティコさんの弟子になってみんなに認められて……」 「私の弟子になったからって認められるわけじゃないわよ。それにしても、改めて聞くとずいぶん後ろ向きよね」 「そ、それは……」 ぐっとクリックが唇をかみ締める。ティコはつまらなさそうに冷ややかに見つめる。 「見た目が、とか年齢が、とか言われるのなら、己の技でどうにかしようってどうして思えないのかしらね? 少なくとも最初に会ったときはそうだったんじゃないかしら?」 ハッとクリックが顔を上げる。 ティコの無関心な言葉はクリックを激しく揺さぶった。確かにその通りだ。 早く結果を出したい、という気持ちに振り回されているのは確かだ。 迷いにクリックが眉をひそめたが、しかし、ティコはまったく気にした様子はなかった。 「まぁ、私にはどうでもいい話だけどね。問題は使えるか使えないかってだけだし? それにしても三つ目ねぇ、何がいいかしら」 麦茶の最後の一口を飲み込んで、すくっと立ち上がった。 「そうね、やっぱり最後はアレを試さなくっちゃ」 奇妙なほど上機嫌な声に、ルヴェルはびくっとなった。 「ア、 アレ……?」 「アレ?」 じりっとルヴェルが半歩足を後ろにずらす。 「アレはアレよ。そうね、最後の課題は『娯楽』ってところかしらね」 「ちょ、ちょっと待ってくだされ! それって弟子とどういう関係が……っ」 「あら、重要なことだわ。やっぱり、総合的にいい方を選ぶのべきだわ」 ティコは立ち上がり、クリックが見たこともない笑顔を浮かべる。上機嫌だが、しかし、なんとなく邪まな――。 ビシッ! と鋭い音がルヴェルとクリックの足元で鳴った。 いつの間に握っていたのだろう。ティコがしたたかに床を鞭で打ち据えたのだ。 「じゃあ、二人そろって可愛がってあげるわ……! たっぷり楽しませて頂戴ね?」 「クックリック! にげっ」 「え? え? え?」 不吉な鞭の音が響き、クリックは次の瞬間逃げ出さなかったことを心底後悔したが、何もかも遅かった。 「やっぱり、悲鳴と叩き心地はルヴェル君が一番ね」 さっぱりした顔つきでティコはきっぱりと言い切った。 「……」 床の上には二つの死体。もとい、ルヴェルとクリックが倒れていた。 クリックには意識は一切ないらしくピクリともしない。 「良かったわね、ルヴェル君。弟子の称号は貴方のものよ、今まで以上に尽くして頂戴ね?」 にこやかに言ってから、うーんと一つ背伸びをした。 「うーん、いい時間つぶしになったわね。日も沈んだし、そろそろ酒場に行ってくるわ、ルヴェル君。あとよろしくね」 上機嫌でティコはそういうとすたすたと二人に目もくれず店の外へ出て行った。 「……いつまでこんな生活が続くんじゃろう……」 床にうつぶせになったまま、ルヴェルはつぶやいた。 そのつぶやきに答えるものはいなかった。いなかったが、心の底からルヴェルはその答えを聞きたくはなかった。 後日、クリックは弟子の件を口に出さなかった。それどころか、その日の記憶すらないらしい。 人というのは心底忘れたいときに完全な忘却を得るというが、そういうことなのだろうとルヴェルは思った。自分も何もかも忘れたいと思ったが、一切の記憶をなくしそうだ。 「ちょっと、ルヴェル君。スカーッとなってキュッとするものがほしいから手に入れてきて」 「……それ、なんなんですか、師匠……」 「知らないわよ。でも、そういう気分だからとっとと手に入れてきて」 今日も今日とてティコの無理難題を聞きながら、ふと、弟子じゃなくなっても今と変わらない生活を送っていたんじゃないだろうか、という思いがよぎった。 「ちょっと! 聞いてるの? そぅ……つまり、お仕置きがほしいわけね……?」 「いりません、いりませんですじゃっ!」 「あら、遠慮しなくていいのよ? じゃ、たっぷり念入りにしてあげるわね」 「い、嫌ですじゃあぁぁぁ……! ううっわし……幸せになりたい……」 切実なその声は鞭の音にはかなく掻き消えた。次の瞬間、ルヴェルの悲鳴が響き渡る。 響き渡ったが、いつものことなので誰も気にしなかった。 つまり、イシュワルドの街は今日も平和だった。 |