「失敗した? 本当に?」
 シオちゃんが“ぎるど”、と呼ぶ場所にいくといつもそこにいる女の人がそういいました。
「……ごめんなさい、サラサさん」
 そういってシオちゃんは深々と頭を下げました。わたしもいっしょに頭を下げました。
「もしかして、その腕は?」
「あ、応急手当とかはバッチリです! それであの、期限なんですが少し延ばしてもらえませんか?」
「期限、ね。もともと急な仕事だったし、それについては先方への説明はしておくわ。今はゆっくり休んで頂戴」
「はい、お願いします」
 もう一度、シオちゃんは頭を下げました。わたしも頭を下げます。
「何かあったの? ワイバーン一匹なら、今の貴方の敵ではないでしょう?」
「そのぅ……ちょっと油断しちゃって。アハハ。でも、次は大丈夫です!」
「……そぅ。とりあえず、今日は早く帰ったほうが良いわね」
「はい、そうします。それじゃあ、明日!」
「ええ、また明日」
 笑顔で手を振って、シオちゃんは“ぎるど”の外にいきました。
「明日かぁ……大丈夫、かな……」
 外に出てそういったシオちゃんの顔から笑顔はもう、消えていました。


 シータはシオちゃんに拾われました。まえのなまえがなんだったか、おぼえてないけれど。
 であったときからシオちゃんはいつもニコニコです。でも、今はちがいます。ニコニコだけど、シオちゃんはニコニコじゃないんです。
 だってほら、いまもそう。
「……はぁ、サラサさんに迷惑かけちゃったなぁ……」
 今日から二十三かいめのため息です。シオちゃんはさいきん、よくため息をつきます。
「よし、今日はちょっと早いけど宿にもどろ! ね、シータもそれがいいと思うよね?」
「にゃーん」
 ちょっとだけ元気が出てきたシオちゃんにわたしは大きくへんじをしました。
 シオちゃんのおへやはとってもヌクヌクしていておいしいパリパリしたおさかなだってあります。きっときっとシオちゃんのため息もとおいお空に行くにちがいありません。
「……あ」
 お部屋にいくとちゅうで、シオちゃんは小さくこえを上げてものかげにかくれました。
「にゃあん?」
「しーっ」
 おっきなねずみでもいたのかな? シオちゃんはだまっています。
「どっか遊びに行こ、フィル君!」
「いやあのでも、俺……」
「またシオちゃん? 今日遠くへギルドの仕事へ行くって言ってたよ? 待ってもムダっていうか、イヴと遊びにいったほうが時間の無駄遣いがないし!」
「なら、出直すよ」
「んもぉっ! 女の子にこれだけ言わせて帰るつもりなの!?」
 フィル君とイヴちゃんです。フィル君は大好き! フィル君はわたしにおいしいおいしいお魚をくれるからです。イヴちゃんもたまーにおいしいお魚の切り身をくれたりします。
二人を見ていたシオちゃんの顔色がまえよりわるくなったような気がします。
「にゃ〜ん……?」
 思わずシオちゃんに声をかけるとフィル君が顔を上げてあたりをみまわします。「シータの声?」
 そうです、とわたしが言おうとするとシオちゃんはわたしを力いっぱい抱き寄せて走り出しました。
「あれ? シオ?」
「シオちゃん? いたの?」
 とおくとおく二人の声が聞こえましたが、あっというまに聞こえなくなってしまいました。


 バタンッ!
 とびらがひらくその音にびくんっとしっぽがふくれます。でもすぐにびっくりはおさまりました。
 だって、あんぜんなにおいがするから。ここはシオちゃんと私のお部屋のにおいです。
「あ、ごめんなさい、シータ」
 シオちゃんの手の中でもぞもぞ動くとようやくシオちゃんは床に下ろしてくれました。
「大丈夫……だよね?」
「にゃん!」
 もちろん! わたしはそうこたえました。だって、ぼうけんにはびっくりがつきものですから。
「にゃぁ〜ん……」
 良かったとぽつっとつぶやいてベッドにすわりました。
「はぁ……」
 そして、ためいき。これでにじゅうよんかいめです。
「私、何やってんだろう」
 シオちゃんが言いました。でも、それはわたしにむかっていってるわけではないようです。わたしはシオちゃんのすねに頭をすりよせました。おなかがすいたからです。
 シオちゃんはこのぬくぬくとした部屋のどこかにいつもカリカリしたおいしいものを隠しているのです。わたしがいつもそうやってほしがるとすぐにシオちゃんはカリカリをくれるのですが、きょうはため息ばかりです。
 にじゅうごかいめのため息をついてシオちゃんはわたしをひざに乗っけました。
「にゃあん?」
 おなか痛いの? シオちゃんは悲しそうでした。
「変だよね、普通に挨拶すればいいのに。どうしてかな、おかしいよね、シータ。二人が一緒にいるだけなのに、私……」
 きゅっとシオちゃんは私を抱きしめたまま、ぽすっとベッドにたおれました。
「普通にお話してるだけなのに、なんでこんな気持ちになるんだろう……」
 シオちゃんのまぶたがゆっくりと下がっていきます。わたしはシオちゃんの腕の中から逃げ出しました。
 いつのまにかシオちゃんは小さな寝息を立てていました。ほんのちょっぴり赤い光がカーテンの隙間からシオちゃんを照らしています。
 わたしはぐるっとベッドを歩いてから、シオちゃんのお腹の辺りで体をまるめました。
 シオちゃんが少しでもあったかくなるように。痛いのがなくなるように。
 お腹はすいてるけれどわたしはそこで眠ることにしました。


 ドンドンッ!
 大きな音に思わず私は跳ね起きました。
 ドンドンッ!
 お客様かな? わたしは飛び起きるとビクビクしながら辺りを見回した。
 シオちゃんはこの音にも気づかないのかスースー寝息を立てていました。わたしはちょっとだけシオちゃんのまわりをうろついてから、前足でシオちゃんのほほを叩くことにしました。とびらの音はまだやみません。
「う、うぅん? ……は、はい!」
 わたしの手を払いのけるように寝たまま顔をふったシオちゃんでしたが、扉を叩く音に気づいてはねおきました。
「あ、やっと出てきた」
 扉を叩いていたのはイヴちゃんでした。「寝てたの? イヴは別に起こしたくなかったんだけど、どーしてもってフィル君がいうもんだから」
「フィル君?」
 その名前を聞いてわたしはシオちゃんのもとにかけよりました。
 そして、あしもとにすりよりながら、三人を見上げました。
「ごめん、シオ。もしかして寝てた?」
「う、うん」
 シオちゃんは二人の顔を見ないようにして申し訳なさそうにちょっとだけ下に向けています。
「最近、シオ、元気なさそうだったからこれをあげようと思って。はい、これ。今日、八百屋さんの手伝いをしてもらったんだ」
 そういうとフィル君は網の中にはいった大きなものをシオちゃんに差し出しました。
 それは一抱えもありそうなみどりと黒のしまもようの丸いものです。ちょっとだけにおいをかいだけれど、おいしそうなにおいはしませんでした。
「スイカ?」
「うん、俺だけじゃ食べきれないし」
 おずおずと手を伸ばし、シオちゃんは受け取りました。どうやら重いもののようだったけれどシオちゃんはニッコリと笑っていました。
「フィル君、ありがとう!」
「じゃ、フィル君いきましょ。寝てるところ邪魔しちゃったし、下でお話の続きしましょ」
「あ……」
 イヴちゃんはそういうとフィル君の腕にすがり付こうとしましたが、さっとフィル君はよけてしまいました。
「ご、ごめん。まだ、話が終わってないから……」
「んもぉ! フィル君、シオちゃんだって忙しいんだから、邪魔しちゃだめよっ」
「ちょっとだけだから」
 苦笑いしながらフィル君は再びイヴちゃんがすがりつこうとしたのをさけました。それから、ちょっぴり元気をなくしたシオちゃんに向き合いました。
「最近その……調子よくないみたいだけど」
「う、うん」
「その、俺じゃ大して役に立たないかもしれないけど、話ぐらいは聞けるから。その、俺でよか……」
「ストップストップストォーーーップ! イヴの家でそういう……そうっ不純な行為は禁止ッ!」
 二人の間を引き裂くようにイヴちゃんがプリプリしながら割り込みました。
「お、俺はただそのあの」
 しどろもどろのフィル君の顔は真っ赤です。なぜかシオちゃんの顔も真っ赤です。
「オーケィ、フィル君の純粋な気持ちはイヴよぉくわかったけど、イヴの目の黒いうちは禁止ッ。シオちゃんッ!」
「え、え、何?」
 シオちゃんは顔を赤らめながらイヴちゃんに返事を返します。
「何か困ったことがあるなら、まずイヴに言って。お客さんが困ってるのをほっといたらママに怒られるし、それにその……命を救われたことあるし」
「……ありがとう」
「べ、別に御礼言われることなんかないわよッ!? と、当然のことだし」
 ちょっとだけシオちゃんは眉をひそめて考えていたようでした。それからふっと顔を上げニコッと笑いました。
「じゃあ、三人でスイカ食べたい」
「……は?」
「お腹すいたし、一人で食べるのも寂しいし」
「イヴは海猫亭があるし、シオちゃん一人で食べれば……」
「それならフィル君一緒に」
「と思ったけど、お店にお客さんなんかろくにいないし! イヴ今チョースイカって気分ッ!!」
「じゃ、三人で食べよー。あ、でもまだ、スイカ冷えてないよね」
「……ウチで冷やしてくるわよ、まったく。……なんか、シオちゃんにいいように操作されたような……あ、フィルくぅん。重いから一緒に持って?」
「あ、なら俺一人で持っていくよ。もともと俺が持ってきたものだし」
「……あ、そぅ」
 フィル君はスイカを受け取ってスタスタと歩いていきます。その後をイヴちゃんが追っていきました。
「じゃ、わたしたちもいこっか」
 ひょいとわたしを持ち上げたシオちゃんの顔は楽しそうに輝いていました。


 その後、「冷えるまでこれでもして時間潰しましょ」とイヴちゃんがカラフルな枝のようなものがいっぱいはいった袋をもってきました。
 “はなび”というものらしいです。
 とおくで見てる分にはピカピカしていてきれいなのですが、近くだと変なにおいがするし、怖い音がするのでわたしはベンチのうしろでみていました。
 シオちゃんはずっと楽しそうでした。わたしはそれがうれしかったです。
 ようやく変な音がおさまったので、わたしはシオちゃんの近くによりました。どうやらまだ、“はなび”は終わっていなかったようでしたが、変なにおいはあんまりしませんでした。
 しゃがみこんだシオちゃんとイヴちゃん、フィル君が手に手に小さなお星様を捕まえていました。
 金色と赤色のお星様はパチパチを光をはじけさせながら静かに燃えていました。それはゆっくりと赤い玉になり、ぽとりと地面に落ちてしまいました。死んじゃったのかな?
 なのに三人はとても嬉しそうでした。
「そろそろスイカ食べよ!」


「うーん、楽しかったなぁ!」
 ベッドの上で大の字になったシオちゃんがそういいました。
 わたしはようやくシオちゃんから美味しいカリカリとおさかなをもらったので食べるのにむちゅうです。
「よっと、シータ、ご飯遅くなってごめんね」
「にゃーん」
 気にしてないよって、わたしはいいました。それより、シオちゃんが元気になった方がずっとうれしいから。
「あのね、きっと私、寂しかったんだと思うんだ。イヴちゃんとフィル君がお話してるとき、間に入っちゃいけない気がして。でも、そう思ってたの自分だけみたい」
「にゃあ?」
「私、気にしすぎだったんだよね。イヴちゃんとももっと仲良くなれたらいいなぁ。……それと、フィル君とも」
 ちょっとだけ赤くなりながらアハハとシオちゃんは笑いました。
 わたしが好きなシオちゃんの元気な笑いです。よかった、元気になれたんだね。
「あ、でも、一番の友達はシータだからね。これからも一緒にいろんな場所に行こう! 、ね、シータ?」
「にゃん!」
 わたしは顔を上げて大きくもちろん! と返事を返しました。
 うん、シオちゃん、ずっといっしょだよ。