「見事に小さくなったわね」
 カウンター越しに物憂げにティコがつぶやいた。
 目の前には小さな少女が涙目でこちらを見ている。
 ふんわりとした白いドレス。たっぷりとしたレースにフリル。まるで等身大の少女の人形のようだ。
 鮮やかなオレンジ色の髪を二つに分けたそのトレードマークがなかったら、ティコもすぐにはわからなかっただろう。
「ティコお姉様、イヴ、小さくなっちゃったんですっ」
「見りゃわかるわよ」
 素っ気無くティコは言いながら、自分の腰ほどしかない少女になってしまったイヴを見た。
「何が原因なのかしらね」
「その……」
「アイト……君だったかしら?」
 顔を曇らせ黙って口をつぐんでいたアイトがおずおずと前に出た。銀色の髪をしたいつもさわやかな青年は落ち込んでいるらしい。
「はい、俺が水色の塔で見つけてきた指輪が原因だと思うんです。海猫亭でうっかり置き忘れて。それをイヴがつけたみたいで」
「指輪?」
「これです、お姉様」
 まるで結婚指輪のように薬指にはめた指輪をイヴは手を上げて見せた。
 石は体が小さくなったにもかかわらずそこにぴったりとはまっていた。
 古ぼけている上、装飾らしいものもないが、鮮やかな赤みの強いオレンジの石が輝いている。じっと見ていると引き込まれそうな色合いだ。ティコの知覚ははっきりと指輪にこめられた魔力を感じ取った。
「海猫亭に置き忘れた箱の中に入ってて、あんまりきれいだったんでつけてみたら目が回って意識を失って。気がついたら小さくなってたんです」
「もういいわ、下ろして頂戴。まったく、よりにもよって薬指につけて。薬指というのは心臓にもっとも近い指なの。だから指輪に込められた魔力がより強力に発揮されたのね」
「もしかして、もう元に戻らない……!?」
 いつもの気の強いイヴとは到底思えないほど強く動揺しているようだった。もっとも、いきなり小さくなってしまって動揺しない人間もいないだろうが。
(あら、こういうのもなかなか……)
 愛らしい少女が涙目でこちらを見上げるという倒錯的な状況に薄暗い喜びを感じたティコは思わず薄く微笑んだ。
「ティコさん! 魔法の解き方をどうか教えてください。俺が海猫亭に忘れてなければこんなことにならなかったし」
「その通りだわ。カルヴァーンの塔のものには見た目は普通でも尋常じゃない魔法がかけられてることがあるのよ。今回のことは貴方の不注意から出てることを良く覚えてなさい」
「は、はい」
「さて、それにしてもどうしようかしらね」
 ため息混じりにイヴを、そしてアイトをかわるがわる見つめていたティコは不意に紙にさらさらと何かを書き出した。
「はいこれ。期限は特に設けないけど、それを持ってきて頂戴。そうしたら魔法の解き方を教えるわ」
「これを全部……ですか」
 手渡された紙に描かれた品を見てわずかにアイトが顔を青ざめさせた。
 ラヴコイン十枚だの、ブラドラドの皮五枚だの、龍の鱗三十枚などという高額な魔法の力がこもった品がずらずらと並んでいたからだ。
「そぅ、全部。そろったらまたきて頂戴」
 もうこれで話は終わり、といわんばかりにティコは片手をヒラヒラさせた。


「ふぅ、モップがけはこんなもんかしらね」
 イヴは額の汗をぬぐいながらつぶやいた。
 がらんとした海猫亭に一人、小さなイヴはモップがけを今までしていた。
 看板娘のイヴが子供になった、という話はあっという間に広まって海猫亭は連日大繁盛だった。繁盛なのは嬉しいが、気持ちはかなり複雑ではあった。
「まぁ、フィル君も可愛いって言ってくれたし。何処かのバカアイトとは大違いよね!」
 ティコの店からさよならも言わずに飛び出していったアイトはこの一週間、海猫亭に顔を出していなかった。なんだかんだ言っても二日に一度は顔を出していたのに、だ。
 シオからの話では連日、水色の塔に通っているらしい。負う傷が多くなっていく姿に手助けを申し出たが、丁寧に断られてしまったのだと心配そうに締めくくった。
「なーにが、俺の責任だから、よ。かっこつけちゃって」
 どう考えても手伝ってもらったほうがいいに決まっている。つまんない意地なんて張らなければいい。そこまで思ってイヴは乱暴に手にしていたモップを用具入れにしまった。
「あーもぅ! イライラする! 全部アイトのせいなんだから、バカアイト!」
「……誰がバカだって?」
 疲れ果てた声にハッとイヴは振り返った。いつもの余裕は何処へいったのか、肩を落として椅子にアイトが座っていた。
「悪い、ちょっと休ませて。あと、水を分けてくれると嬉しい」
 言いたいことはあった。だが、イヴは黙って大きな水差しを半ば抱えるようにしてアイトに手渡した。
アイトが床に置いた防具は汚れていた。変な色の液体やら、自身の血で。
 脱いだ上着は赤茶けた血がにじんでいる。アイトはカバンから薬を取り出すと手馴れた手つきで薬を塗り、包帯を巻いた。
「姉貴がうるさくてさ。助かる」
 どうしてそんなケガを、と言いかけてイヴは口をつぐんだ。言うまでもない、アイテム集めに決まっている。
「もうすぐそろうよ、そうしたら魔法が解ける」
 まるでイヴの気持ちを読んだかのようにアイトが腕に包帯を巻きながら言った。
「もう少しだけ我慢しててくれよ」
「べ、別に我慢なんかしてないわよ! お店は大繁盛だし、可愛いってフィル君に言われたし。まぁ、イヴは元が良いから小さかろうが大きかろうが全然OKってカンジよ。だから……」
 沈黙が続く。わずかにアイトが自分に手当てをする音だけが響くだけだ。
 イヴはつぐんだまま、心の中でうめいた。たった一言「無理をしないで」という言葉が出てこない。
 ぎゅっとレースごとスカートを小さな手で握り締め、唇をかみ締める。それでもどうしても、言葉は出てこなかった。
「よしっと」
 イヴの葛藤を知ってかしらずか、アイトは手当てを終えると立ち上がった。
「店を汚して悪かったな」
「ほ、本当にそうだわ。掃除しなおしよ」
「じゃ、悪いついでにもう一つ」
「?」
 顔を上げたイヴの髪からするりとアイトは二つに分けた髪の片方のリボンを解いた。
「ちょっと、リボン取らないでよ!」
「お守りだよ、お守り。昔話でそういうのがあったじゃないか」
 言われてみて、確かにそんな昔話があったことをイヴは思い出した。覚えたことを忘れることがないイヴでさえ、記憶がかすれるほど、遠い昔に読んだことのある絵本。
 お姫様と騎士が出てくる話だ。悪い魔物を退治する騎士のために、お姫様は自分のリボンを与える……そんな陳腐でありきたりなお話。
不意に何かがイヴの脳裏をよぎった。何か忘れてるような気がするのだ。忘れることなんてないはずなのに。……それとも、忘れたかったのだろうか。
「物をそろえてちゃんと帰ってくるよ。だから心配……なんてしないな」
「あ、あったりまえじゃない! 誰がアイトの心配なんかするもんですか。でも、ちゃんと帰ってきなさいよ!? イヴの寝覚めが悪くなるんだから!」
「はいはい、お前の寝覚めのために生きて帰るよ」
 ちょっとだけ笑いながら、アイトは器用に利き腕にリボンを巻くと、不意にひざまずく。イヴの顔を真正面に見据え、生真面目な顔でアイトはそっとイヴの手をとる。
「ちょ、ちょっと」
「アイト=レイクール、貴方様のご命令の通り生きて再び御前に参上することをお約束します」
 手の甲をかすめる、暖かい感触にイヴは激しく動揺し、顔が真っ赤になった自分に気づかざるを得なかった。
 動揺している自分に、さらに動揺する。バカバカしいごっこ遊びに動揺してしまう自分のうかつさを呪うほどだ。
「ドキッとした?」
「……知らないわよ、バカッ!」
 にっと笑うアイトの眉間めがけて小さなこぶしを叩き込むと、イヴは逃げるようにかけだした。
「バカバカバカ! あんたなんかもう絶対心配なんかしてやんないわよ! 魔物にかじられちゃえばいいのよ!! アンタなんか、アンタなんか……バカッ!」
 ドダドダと足音高く響かせながら、イヴは海猫亭の奥へ引っ込んでしまった。
 後に残されたアイトは眉間を押さえながらうずくまっていた。
「バカ、か……」
 痛いくせに不思議と微笑がこぼれてしまう。
 それでも、「死んじゃえ」なんていわれなかったことが嬉しかった。
 軋む体の悲鳴に耳を貸さず、アイトはてきぱきと身支度を整えた後、自分が汚してしまった床をモップで丁寧に掃除をしてから店を出た。
 戸締りをしないのは無用心だが、イヴの性格を熟知していたアイトは必ず見に来ることがわかっていた。
 微笑さえ浮かべて疲れ切った体を引きずるように歩き出しながら、夜の街へアイトは消えていった。手首に結んだ黒いリボンをたなびかせながら。


「驚いたわ、もうそろえたの?」
 結局、十日もたたずにアイトはティコが指定した品物をきっちりそろえて目の前に立っていた。いたるところを包帯で巻いた姿は痛々しい。
 横にはアイトの方を見ないようにしているイヴが不機嫌そうに立っている。
「おぬし、相当無理したようじゃが……大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。それより、魔法の解き方を」
 椅子を勧めようとしたルヴェルに笑顔で首を横に振り、アイトはじっとティコを見つめた。
「約束だから仕方がないわね。イヴ」
「なんですか、お姉様」
 憧れのティコに声をかけられたイヴは慌ててふくれっつらを引っ込めて愛らしく笑った。
「指輪、はずしなさい」
「……え?」
「だから、指輪をはずしなさい。はずせば魔法が解けるわよ」
「えーと……それだけ……ですか、お姉様」
「それだけよ。とりあえずやってみなさい」
 恐る恐るイヴは薬指にはめた指輪をそっとはずした。あっけないほどにあっさりと指輪が引き抜かれ、そして――。

 ビリビリビリッッ!

「きゃあああああ、エッチーーー!!!」
 大きくなったため、イヴの服が盛大に破れた。
「イヴ、お、落ち着くんじゃグハァッ!」
「待て、物を投げるなッ」
 あからさまに重そうかつ、殺傷能力がありそうな石の塊を顔面から受けたルヴェルも逃げ出そうとして後頭部にブチ当てられたアイトもその場に倒れた。
「そういえば、そうなるわね。私としたことがうかつだったわ……」
 ちゃっかりカウンターの後ろに避難していたティコがぽつりとつぶやいた。


「……なんでお前がいるわけ?」
「何よ、なんか文句あるの!? この絶世の美少女のイヴちゃんに看護されて幸せだと思いなさいよ」
 あれからイヴの叫び声に辟易したティコが毛布を持ってきてようやく終わった。
「と、いうかね、はめたらまずはずそうとしなさいよ。いい教訓になったわね。ああ、これは私の報酬としていただくから」
 ティコはきっぱりそう言ってアイトが必死になって集めた品々を己の懐に入れた。
「回りくどいことをしなくても、はずしたら解除されると言えばよかったのでは……」
「バカなの、ルヴェル君。痛い目みたからこそ、教訓になるのよ。それに、安易に解決方法聞けたってタメにならないでしょ。とりあえず、ルヴェル君は教訓を味わいたいみたいね?」
「いやっええええんりょしますじゃっ」
「あら、私の教訓が受け取れないの? そう、なら素直になる躾をしなきゃね……フフフ」
 その後、ルヴェルの悲鳴が響いたのはさておき、アイトはベッドの中で怒ればいいのか、あきれればいいのか微妙な気持ちで横になっていた。
 確かに、指輪がはずせられるかどうか調べなかったのは自分の手落ちだが、納得いかなくもある。もう終わったことをあれこれいっても仕方がないのだが。
「ちょっと、アイト。聞いてるの? ほら、あーんってしなさいよ、食べさせてあげるから」
「いや、大丈夫だっていってるだろ。見た目はすごいけど、大きいケガはほとんどないんだし」
「何よ、せっかく看病してあげようって言うイヴのピュアな気持ちを無下に扱うわけ?」
「いやだから」
 綺麗にむいた大きな赤いリンゴがぬっと差し出される。イヴの顔には「イヤとは言わせないわよ」とでっかく書いてある。……アイトは素直に諦めることにした。精神的に疲れが一気にきたのもあるし、それに。
「……何よ?」
「いや、なんでもない」
 一度、記憶したことは絶対に忘れることのない幼馴染が机の中にしまわれた二本の黒いリボンを思い出さないように、アイトは黙って口を開いた。