「おはようございます!」 朝。フィルはクローズの札がかかっている飴色の扉を迷いなく開けた。扉の上には古ぼけた家よりちょっぴり新しい看板が自己主張している。 『ティコ魔法堂』。それがこの店の名前だ。 「おお、おはよう、フィル」 扉の向こうには商品のチェックをしていたらしい青年が、くるりと振り返って朝の挨拶を返す。店主、ではない。ルヴェルという名で本人に言わせれば店主の弟子。店主から言わせれば奴隷……らしい。 ティコは『レミュオールの魔女』と呼ばれるほどの実力の持ち主だ。魔女、とは言われるものの実際は錬金術師らしい。 性格はトゲが花びらまで覆ってる薔薇。もっとわかりやすく言えば『女王様』、であろうか。常日頃、ルヴェルを鞭でいたぶるという『遊び』に興じている。 そんなティコだが、朝にはめっぽう弱い。開店間近だというのにティコの姿は何処にも見えなかった。 「あ、フィル君だ、オハヨー!」 「お、おはよう、シオ」 思いがけない出会いにフィルはドキドキしながら、淡い気持ちを抱いている少女の挨拶を返した。青い髪と瞳を持つ少女シオはニコッと笑う。 「フィル君もティコさんに呼ばれたの?」 「ううん、俺は昨日、採集を頼まれたんだ」 「すまんが、師匠はまだ起きておらん。ひとまず、わしが預かっておこう」 うなずいてフィルは担いでいた袋をカウンターの上に置いた。魔物と戦いつつ集めたものだった。まだまだ、レベルの低いフィルにとっては街の近郊でも命がけだ。 「はい、じゃあ、頼まれていた『小さな青リンゴ』です。27個とってきました」 「うむ、確かに。継続かどうかは師匠が決めるじゃろうから、シオと一緒にしばらくまってくれんか」 目の粗い麻の袋ごとルヴェルは受け取ると少しばかり申し訳なさそうに顔をしかめた。 「はい、じゃあ待たせてもらいます」 「すまんな。それにしても最近ケガが少なくなったようじゃな?」 「ちょっとだけ慣れたかなって。油断するとやられちゃいそうになりますけど.。あ! 最近、手にタコが出来たんですよ!」 いそいそとフィルはルヴェルに手のひらを見せた。手のひらのちょうど剣の柄に触れる部分が確かに硬くなっている。 それがすごいことであるかのようにフィルの顔は輝いている。 「ほほう、じゃがまだま」 「可愛い!」 唐突にシオがそう叫んだ。え、と思うと同時にフィルは落ち込んだ。 自分より数段上の実力者である少女にとって確かに手のひらに出来た小さなタコぐらい、可愛いものかもしれない。 「わぁ、ふかふかー」 「ふか、ふか?」 思わず自分の硬い手のひらを見て、それから声の主を見た。 シオはニコニコしながら胸にもこもことしたものを抱きかかえていた。 「これ、生き物ですよね?」 「おお、それか。それはホウキ兎という生き物でな、毎朝店の掃除をしてくれる生き物なんじゃよ」 シオの両腕の中でその生き物は「みゅ」と声を上げた。 真っ白い毛玉のようにも見えるがよくよく見ればパッチリとした目と小さな口があり、なるほど言われてみればウサギのようにも見える。だが、ウサギにしてはその尾は長く、まるで羽箒のようだ。どうやら、その尾っぽで掃除するらしい。 「へぇ、聞いたことはあるけど、初めて見ました!」 「レトレト牧場でも売ってない、希少な生き物じゃからな。おお、そういえば餌をまだやっておらんかったな」 カウンターの向こうに一度引っ込んでから、ルヴェルは小さな皿と餌の袋を小脇に抱えて戻ってきた。 手馴れた手つきで皿に餌を盛った。すると、辺りの棚からピョコピョコと白く小さな頭が飛び出すと餌の匂いをかぎつけたホウキ兎たちが集まってきた。 「わあ! すごい」 「あれ? 本当にちょっとですけど、体の色が違うんですね」 「うむ、本当にちょっとじゃがな。実はそれを利用して名前を付けておるのじゃよ。そう、たとえばこの一番可愛くて純真そうな……うっぎゃぁ!?」 嬉々として一匹のホウキ兎を指差そうとしたルヴェルは、そのほんのりオレンジ色のホウキ兎に指を力の限り噛まれた。 それから、愛くるしい目を三角に吊り上げて「フーーーッ」とさらに毛まで逆立てて威嚇しだした。 「な、何故じゃ!? こんなに可愛がってるのに、どうしてじゃ『ヤヨイ』ちゃん!!」 ((やっぱり)) フィルとシオ、同時にそう思って引きつった笑顔を両者(?)に向けた。 ヤヨイ、というのはオークトラビスから来た少女でルヴェルは猛烈にアタックを繰り返した結果、壮絶に嫌われてしまった。 おそらく、このホウキ兎の『ヤヨイ』ちゃんも執拗にかまわれて、ルヴェルを嫌うようになったのだろう。 「うっうっうっ、何故じゃあ、『ヤヨイ』ちゃん」 威嚇するだけして、ホウキ兎の『ヤヨイ』ちゃんはさっさと姿を隠してしまった。 後に残るのは失意のルヴェルだけである。 「あ、あのぉ」 とりあえず、慰めの言葉を考えつつ声をかけようとフィルが一歩、がっくりと座り込んだルヴェルに近づいたときだった。 ヒュンッとすさまじい勢いで『何か』がフィルの横を通り過ぎた。 「ぐっはあああああ!?」 『何か』はフィルの声に上体を起こしかけたルヴェルの腹に追突した。 「んな、ななななな!?」 すばやくぴょいんと『何か』は一度後方に飛んでから、痛みに前かがみになったルヴェルの後頭部を蹴った。 「うぎゃッ!」 顔をしたたかに床に打ち付けたルヴェルは蛙がつぶれたような悲鳴を一つあげて、沈黙してしまった。 『何か』は一度だけ、止めといわんばかりにルヴェルの後頭部で飛び跳ねた。 「ホ、ホウキ兎?」 先ほどの切れのある攻撃を繰り出したとは思えないほど愛くるしい目でルヴェルの後頭部から降りたホウキ兎はシオとフィルを見上げた。 「く、くぅううう、ティ、ティコめ……っ!」 「ティコって、え?」 「一番小さいのに食い意地のはったホウキ兎に師匠の名前を付けたんじゃ。それからしばらくして、いきなり凶暴に……いたたた」 やや紫がかったように見えるツヤツヤした毛並みのホウキ兎はそ知らぬ顔で餌を食べている。 が、気に入らなかったらしく器用に皿をルヴェルの顔面にぶつけた。 「がはっ!」 その一撃を受けて気絶したのか、ルヴェルはピクリともしなくなった。 「うるさいわね……」 カウンターの置くから、不意にすこぶる不機嫌そうなティコが現れた。すらりとした肢体の妖艶ながらも危険な匂いのする美女は一つだけ、あくびをかみ殺した。 「あら、二人とも。おはよう」 「おはようございます!」 ぴたりと声をそろえて、二人が挨拶を返した。 「二人して騒いでいた……わけじゃないわよね? 強盗でも入ったのかしら」 「いえ、その、えーっとこの『ティコ』ちゃんが……」 「『ティコ』ちゃん?」 一瞬、シオの言葉に柳眉をひそめたティコだったが、「みゅ」と愛らしく鳴くホウキ兎を見て止めて「ああ」とつぶやいた。 「ルヴェル君が私の名前をつけたホウキ兎ね。私の名前をつけた上でこの子をいじめようとしていたから、ちょっと趣向をかえたしつけをしようと思って」 「し、しつけ?」 「私が愛用している薬をこの子にちょっぴり分けただけよ、ふふふ……」 妖しく微笑みながら、ティコはおいでと『ティコ』を呼んだ。すると、先ほどルヴェルにした仕打ちからは想像も出来ないほど『ティコ』は嬉しそうにティコの元に駆け寄って体をすり寄せた。 「私そっくりで、可愛いわ」 確かに可愛かったし、愛らしかったが二人は微妙に凍った笑顔を返すだけだった。 ちなみにルヴェルはまだ、目を回している。 「ああ、そうそう、そういえばお仕事頼んだんだったわよね」 「あ、俺のほうは先ほどルヴェルさんに手渡しときました」 「みたいね。明日も同じでお願いするわ。シオちゃん、悪いんだけどアルハン山地で採集をお願いできるかしら。種類は問わないわ」 「はい、わかりました」 小さな袋に入った報酬を手渡し、「さて」とティコがつぶやいた。 「今日は臨時休業かしらね、ふふふ……」 いつの間にか持っていた愛用のブラドラドの鞭を手の中でビシッと鋭く鳴らした。 「それじゃ、また明日もお願いね?」 「はい、お願いします!」 元気よく、挨拶をしてそそくさと二人は店の外に出た。ぱたん、と扉は閉まり、そして。 「それじゃ、楽しいしつけの時間でもはじめようかしら……?」 「みゅ」 それから、店の開店は二時間ほど遅れたが、いつものことなので誰一人として気にするものはいなかった。その間、悲鳴を上げていた人間の安否を気にする者も。 「うっぎゃあああああああああああ!」 「ホウキ兎に私の名前を付けてどうするつもりだったのかしら、ルヴェル君?」 「ち、違い、ますじゃ! いじめようなどと思っておりませんじゃ! ただ、あんまりにも食い意地が張って……はあぁっ!?」 「あら、つまり、私が食い意地が張ってるってことかしら? そう……やっぱり、お仕置きが必要ね」 「かかか勘弁してくだされ、ししょおおおおお〜〜〜」 「さぁ、もっと鳴いて、私を楽しませて頂戴!」 ……その後、ちょっと紫がかった『ティコ』という名前のホウキ兎が仲間をまとめてイシュワルドに騒乱をもたらすことになるのだが……。 それはまた、別の話。 |