暁の光が夜明けを告げるころ、イシュワルドの外れにある建物の中で一人の女性の声が響いた。 「やっと成功ね、早速試食しなきゃ」 女性の名はティコ。街でも名の知れる魔道士の一人。かつてはその力で全世界を掌握できるとも噂された人物だった。 ティコは陰鬱な表情を浮かべあたりを見渡した。 部屋の中にはガラクタが所狭しと転がり、ところどころに空のビン、何かの食べかすが転がっていた。 「さすがに徹夜で新商品を開発すると、疲れるわね。眠いわ」 大きく口を開き、欠伸をする。 「おはようございます。師匠!」 突然開かれた扉の奥からルヴェルが姿を現す。 「ルヴェル君……レディーの部屋に無断で入るとはいい度胸ね」 「レディー? 師匠を起こすのは、弟子の仕事ゆえ」 ルヴェルには、それはいつものこと。しかし、ルヴェルにとっての不幸は、ティコが不機嫌の時に姿を現したことだった。 「口答えとは、いい度胸ね……」 言うが早いか、ティコ愛用の鞭が風を切った。 しかしこれは、ルヴェルの不幸の始まりに過ぎなかった。 その日は何かにつけて「働きが悪い」だの「料理がまずい」だの言いたい放題言われた挙句、そのたびにルヴェルのからだに生傷を作った。 その日はたまたま機嫌が悪かっただけと自分に何度も言い聞かせ、明日からはもう少し機嫌も良くなっているだろうと思ったのだが……。 そして次の日、ルヴェルはティコを起こそうと部屋のドアを叩いた。いつもならいきなり開くのだが、昨日の今日だ。同じことをすると、なにを言われるかわかったものではない。 しばらく待っても返事がなかったので扉を開くと、そこには昨日に引き続き不機嫌な表情を浮かべるティコがいた。 「レディーが寝てるのに、部屋をノックしたからって勝手に入ってきて良いと思ってるの?」 「へっ?」 呆気に取られているルヴェルをよそに、ティコは鞭を振り上げる。 「ちょっと待ってくだされ! 師匠は絶対に起きてたんじゃ、ノックしたのを知ってるのに返事をしないなんて卑怯じゃ」 「問答無用よ……」 「あんまりじゃー」 ルヴェルは鞭で打たれながら、悲鳴と文句を交互に言った。 その日も昨日に引き続き、ティコは不機嫌だった。何かにつけて『ルヴェルの働きが悪い』とか『同じ空気を吸ってるのが不快』など散々文句を言っていた。 そして次の日、ルヴェルは目に涙をためてティコの部屋をノックした。返事は昨日と同じで返ってこない。どうしようか悩んだが、昨日と同じように文句を言われたのではたまったものではないと思い、その場をあとにして自分の仕事に取り掛かった。 数分後、不機嫌な表情のティコがルヴェルの前に現れた。 「ルヴェルくん……弟子が師匠を起こさないなんて、どういう了見?」 「へっ?」 起こしたら起こしたで文句を言われ、起こさなかったら起こさなかったで文句を言われ……無理難題を押し付けるにもほどがある。 「全く不愉快だわ……」 「あんまりじゃー」 あまりの理不尽さに、叫び声を上げるがすぐにそれは悲鳴へと変わる。 こう何日も不機嫌な日が続くのも珍しく思い、なにか手がかりがあるかもしれないとティコが出かけている隙にこっそりとティコの部屋を訪れていた。 「それにしても汚い部屋じゃ」 ルヴェルは部屋の中を見渡した。 窓を塞ぎ、太陽の光を遮ったその部屋は薄暗く、足元にはガラクタが散乱している。どうやら『失敗作』のようだ。 部屋に入った痕跡を残さないように、ガラクタの隙間を見つけながら歩いた。 もし部屋に無断で入ったことがばれると、それはルヴェルにとって死の宣告も同じこと。神経をすり減らしながら部屋の中を一歩歩いては、手がかりになりそうなものが無いかと探した。 そしてガラクタに紛れた空の小瓶を見つけた。 それを手に取る。ティコが新商品の試食でもしたのだろうと、元の位置に戻そうとしたときだった。 小瓶に貼り付けてある商品名を見て、ルヴェルは我が目を疑った。 『惚れ薬』 えっ……? わけがわからなかった。 どれくらい時間が過ぎたかわからなかった。ただ小瓶に書かれている文字だけを見つめたまま時間が過ぎていた。 だが、一瞬でルヴェルは正気を取り戻した。ルヴェルを正気にさせたのは言うまでも無く、背後から聞こえたティコの声だった。 「なーに、してるのかな?」 「ぎゃぁぁぁーーーー」 壊れたスピーカーのようなルヴェルの声が小さな部屋の中にこだました。そして、ルヴェルの意識は無くなった。 「という夢を見たんじゃが……」 安酒場で酒をあおりながらルヴェルが言った。 「はぁ……」 苦笑いを浮かべるフィルは正直、どうでもいいと思っていた。 久しぶりにルヴェルに酒場に誘われたと思ったら、ウーロン茶を一杯だけ奢ってもらい、あとはルヴェルの愚痴を永遠と聞いていた。 ウーロン茶一杯じゃ割りに合わないとさえ、思っていた。 フィルが解放されたのは、飲み始めてから五時間ほど経ってからだった。 フィルが夜道を歩いていると、シバが待っていたのかフィルの方へ駆け寄ってくる。 「おーいフィル、ちょっと面白いものを手に入れてな……」 そう言ってシバは懐から小さな小瓶を取り出した。 「これは見てのとうり、惚れ薬といってだな……これをシオに飲ませると、あら不思議……」 「凶暴になるとか?」 とフィルは笑った。 それとほぼ同じ時刻。街の外れにある屋敷から、男の悲鳴が何度も聞こえたという。 |