朝起きて、まずすること――ベッドから降りてカーテンを開ける。いつものように俺はカーテンを両手で開いた。朝日……というには程遠い太陽の光が頭の上から降り注ぐ。 部屋にたてかけてある時計を確認してみると11時30分を指していた。 どうりで暑いわけだ、一年を通してイシュワルドは温かい、特にこの季節――夏は蒸し暑いんだよなぁ……。 俺は冷蔵庫に冷やしてある飲料水を持ってきて、ベッドに腰を下ろし改めて外の風景を見渡す。 今ではすっかり見慣れたイシュワルドの風景。レンガ作りの家やお店が連なり、反対側は大きな公園がある。そして何より目を引くのが、遠くに見える大きな海。釣りをする為によく行く場所だ。 俺は服を着替え、外へ出かける身支度をした。 いくらギルド員とはいえ、こんな時間に起きるのは少し遅い気がする。 程度のよい仕事は、先に誰かが登録しているだろうし……ギルドに行っても雑用のような仕事か上級魔族やドラゴン相手の難しい仕事しか残ってないんだろうなぁ……。 取り合えずギルドまで行こうと、外に出たものの今日は仕事をする気分になれなかった。俺はギルドに行く途中にある掲示板で足を止めた。 「今週の運勢は……っと」 掲示板には、街で開かれるイベントなどの張り紙に混じって、毎週占いが張ってある。占いを信じているわけじゃないけど、ついつい見てしまう。 『仕事運――下降気味、仕事で簡単なミスを連発しそう――』 俺の口から情けない溜め息が出た。信じてるわけじゃないけど、悪いことが書かれているだけで、悪いことが起こりそうな予感がするから不思議だ。 『恋愛運――絶好調、好きな人と急接近』 「あっ……もしかしたらシオとキ……キ……」 「シオちゃんがどうかしたの?」 「おわっ!」 完全に不意打ちだった。俺はキスという言葉を寸前で飲み込んで、声のした方を振り向く。 「なーんだ……イヴちゃんか」 「なーんだって、何よ! イヴじゃない方がよかったの!」 「ううん……そうじゃないけど……」 俺はなんて答えてよいのか分からず、口ごもる。仮にも「シオの方がよかった」なんて言ったらどんな目に遭うだろうか――想像もしたくない。 『ねぇ、アイト君、男の子ってどんなもの貰ったら喜ぶと思う?』 背後から聞き慣れた声がして、俺は振り向いた。そこにいたのは仲良さそうに歩いているシオとアイトだった。 「あっ、シオにアイト……偶然だね、こんな所で何してるの?」 俺が声をかけるとシオは気まずそうに視線を逸らした。アイトもアイトで俺が声をかけたことに凄く驚いていた。 「ねぇ、二人とも、どうしたんだよ」 「買い物よ、買い物! フィル君には関係ないでしょ!」 答えたのはシオだった。なんだかその口ぶりから凄く怒っているように感じる。もしかしたら、また、知らないうちにシオを怒らせるような事をしたのかもしれない。それを裏付けるようにアイトが僕の耳元でささやく。 「ほら、俺の口からは言えないけど、フィルにも心当たりがあるだろ?」 心当たり? やっぱり俺がシオに嫌われるような事をしたのだろうか……必死に思い出そうとしても、シオの気に障るような事はしてないと思う。 「じゃぁ、私達、買い物で忙しいから……」 シオに引っ張られるように、アイトとシオは店の並ぶ通りに姿を消した。俺はその光景を唖然と見ていた。 「あの二人……まるで台風ね」 「そうだね――シオ怒ってたみたいだけど、どうしたんだろう」 「アイトとデートしてるとこ、フィル君に見られたから、怒ってんじゃない? まぁ、あの二人ならお似合いだわ!」 シオがアイトとデート――買い物って言ってたけど、二人で買い物って言うとやっぱりデートなのだろうか。それにアイトの言った俺に心当たりがあるって言葉、どういう意味なのだろうか……。 「これでイヴ達がデートしても、誰も文句を言うヤツはいないねー、行きましょ、フィル君」 俺は記憶の中を一生懸命探してみた。二日前にシオに会ったときは怒っていなくて、どちらかと言えば上機嫌だったと思う。それが今日はあの調子だ。 「ねぇ、フィル君、あれ可愛いね」 俺の手がずるずると引かれて、俺は手の引かれる方に歩いていたが、頭ではシオのことばかり考えていて、自分が今、どこにいるのかもわからなかった。 「ちょっと、疲れたね、少し休もうよ」 もしかしたら、一週間前にシオが大切にしていたハンカチを汚しちゃったのがいけなかったのかなぁ……。 「ねぇ、フィル君、今誰もいないし、キ……キ…しよ…か……」 キ……キ…ってなんだ? でも、あの後、ちゃんと洗って「ありがと」って返したら、シオも上機嫌で「どういたしまして」って言ってくれたし……それよりも、なんだか急に息苦しくなったな。口を何かにふさがれたみたいだ。 「ぷはぁ! ……ゲホッ、ゲホッ」 「あっ、ごめん、息苦しかった?」 急に息苦しくなった所為か、俺は盛大に咳き込んだ。隣を見るとイヴちゃんが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。気のせいかもしれないけど、顔が少し赤いように思う。 「イヴちゃん、少し顔が赤いよ、熱でもあるの?」 「わ……わかってるくせに……」 俺が声をかけると、イヴちゃんは言いにくそうに答えた。どうも会話が噛み合ってないような気がする。 俺が額に手を当てると、やっぱりイヴちゃんの額は温かかった。 「ほら、やっぱり熱あるよ、今日は家でゆっくり休んだ方がいいよ」 「熱があるなら……フィル君の所為だよ……」 俺の所為? もしかして、一日中、俺と一緒にいたから疲れちゃったのかも、気付けばもう暗くなり始めてるし、イヴちゃんには迷惑かけちゃったかな。 「ごめん……」 「謝らないで、嬉しかったんだから……それに、イヴから……だったし」 確かにデートしようって言ってきたのはイヴちゃんだったし、俺の頭の中はシオの事でいっぱいだったけど、イヴちゃんが嬉しかったって言ってくれるんだから、いいかな。でも、イヴちゃんと遊んでいる時に他の子の事を考えるのは、いけないと思った。だから俺はもう一度「ごめん」とイヴちゃんに謝って「暗くなりかけてるし、そろそろ帰るね」と伝えた後、帰路についた。 そう言えば、イヴちゃんの言っていて『キ……』っていったいなんだったのだろうか。 その日はあまり寝れなかったと思う。次、シオに会った時に理由を聞こうと思うけど、今日のシオを見ていると、素直に教えてくれるかどうか……ただでさえ、シオはそういうこと言ったりするような女の子じゃないし。かと言って、ただ謝っても余計に怒るだけだと思うし。 次、会った時に理由を聞いてみよう。 気付けば朝になっていた。カーテンの隙間を探すように一筋の光がフローリングの床に伸びていた。ベッドの上で両手を頭の上に伸ばし欠伸をする。 時計に目をやると8時30分を指していた。 カーテンの前まで行き、シュッと音がなるように両手でカーテンを開いた。天気は昨日と同じような快晴の青空だ。だけど俺の心の中は靄がかかったように霞んでいた。 シオ――なんで怒ってたんだろう……考えても仕方ないか。 俺はダウナーな気持ちを切り替え、着替を済ませて玄関を出た。 シオが一番いそうな場所……俺はギルドへ向けて走った。シオの姿はすぐに見付かった。ギルドへ向かう途中、昨日と同じ場所。掲示板の前でシオは張り紙を見ていた。俺にはまだ気付いていない。 「シオ」 俺が声をかけると、シオは俺の方に振り向いた。 「フィル君、おはよう」 シオはまるで昨日の出来事が嘘のように、俺に話しかける。俺はなんて答えていいのか分からずに、口ごもった。 「あ……ごめん、私、これから買い物に行かなきゃいけないんだ」 「俺も……俺も一緒に行っていい? 荷物持ちくらいはするから」 昨日はアイトと一緒だったけど、今日は一人みたいだから荷物持ちも必要だよね。 「いい、フィル君には関係ないし……」 シオはそれだけ言うと、俺に背中を向けて店の並ぶ通りに歩いていく。その口振りから、俺は昨日の事を思い出していた。昨日とまったく同じだ。 「待って、シオ!」 シオは歩いていた足を止めた。だけど振り向かない、背中を向けたまま止まっていた。俺は昨日みたいな思いをもぅしたくない、シオのことを考えれば考えるほど不安になった。だからシオが怒っている理由、ちゃんと聞き出さないと……。 「シオ、買い物が終わってからでいい、公園で待ってるから! 公園でずっと待ってるから!」 公園のベンチに座ってから、どれだけの時間が経っただろうか……シオはちゃんと来てくれるだろうか……俺はなんて声をかければよいのだろうか……。いろいろな事が頭の中を駆け巡る。 「フィル君、おまたせ」 俺が顔を上げると、太陽を背にしたシオが立っていた。買い物に行ったはずなのに、買い物袋は持っていない。 「となり、すわるね」 シオはそう言って、俺の隣に腰を下ろす。 「ねぇ、シオ……」 「んっ、なに?」 「最近、最近なんだけど……俺、なにかシオに嫌われるようなことした?」 聞き方としては最悪だと思う。だけどこれ以外によい言葉が思い浮かばなかった。 「うーん、してないよ……急にどうしたの?」 「最近、シオに避けられてる感じがしたから……」 シオの表情が少し躊躇うようなものへと変わる。 「フィル君には、関係ないよ……」 「関係ないなら、避けたりしないよ……俺が何したか分からないけど、シオの気に障るようなこと、したんなら謝る……だけど、理由、教えて欲しい」 シオは少し考えるような仕草をした後に、決心したように俺の方を見つめた。 「一日早いんだけど、フィル君を心配させたくないし……プレゼント、探してたんだよ……アイト君にも手伝ってもらって」 シオはそう言ってポケットから小さな袋を取り出す。俺は何が何だか分からずに、シオの差し出した小さな袋を手に取る。 「あけてみて」 シオに促されるまま、俺は袋を開けた。中には片方だけのハート型をしたピアスが入っていた。 「フィル君への誕生日プレゼントだよ……誕生日おめでとーってまだ早いか……ねぇねぇ、つけてみてよ」 シオに言われるまで、すっかり自分の誕生日を忘れていた。アクセサリーなんてつけた事がなかったが、シオがくれた物なら大切にしなきゃ。 「フィル君、凄く似合うよ」 「そ……そうかなぁ、それより何で片方だけなの?」 「それはね……やっぱり秘密……」 「えっ……なんで……気になるよ」 「いいの、いいの!」 シオの方を見ると、耳元が小さく銀色に輝いた……ように感じた。 |