「フィル君、買い物行こっか!」
 だなんて、そんなイヴちゃんの元気な声が海猫亭の隅っこで埃と汚れのコンビにと悪戦苦闘してる俺の耳へと入ってくる。
 濡れ雑巾片手に掃除しているのをやめ、立ち上がり振り返る。
 そこには肩から提げたバッグを持っている笑顔のイヴちゃんがいた。
「どうしたの、イヴちゃん」
 あぁ、中腰で掃除してると腰が痛い…。
 腰をすりすりとさすっていると、呆れた溜息をつかれる。
 本当に痛いんだってば。
「フィル君、オヤジくさ〜い」
「うぅ…」
 …なんかショック。
 こんな腰を痛めてまでやっているのは仕事だからだ。
 海猫亭での掃除。
 食べ物を扱う店だから、清潔さには気をつけなきゃいけない。だから、こういう仕事をやることもあったりする。
 けどイヴちゃん。いくらなんでもこの汚さはどうかと思うんだ。入口あたりから見えない所では蜘蛛の巣が張ってあったりとかするのは。
「ほら、そんな蜘蛛の巣をつんつんとつつかなくていいからさ、買い物行こっか」
 今ので俺のどこがそう見えたんだろう。普通に立って背伸びしていただけなのに。
「蜘蛛の巣をつついてもいないし、見てもいないよ。…で、買い物行くの?」
「そう、行くの」
「なにしに?」
「買い物」
 あ、聞き方が悪かったかな。聞きなおさないと。
「…何を?」
「えっとね〜。フィル君がイヴに惚れる薬を…」
 えっと、今日の仕事はこの海猫亭をすっきり綺麗にすることだったよね。
 さて、この蜘蛛の巣は後でやるかな。さきにこの木箱らを一か所にまとめて…。うん、今日が海猫亭の休みなんで、お客さんに気遣うことなく掃除できるって素晴らしいね。
「ご、ごめんってば。だからイヴをスルーして掃除に戻らないでよ!」
 と、イヴちゃんを背に掃除をしようとしたらそんなことを言われる。
「ごめん。…で、素材とかを買いにいくの?」
「そうよ。さて、決まったところで早く行きましょう」
 俺は服についた埃を払って、気分良さげに店の外へと出ていこうとするイヴちゃんへとついていく。
 けれど、イヴちゃんが立ち止まる。
 どうしたんだろ。
「あ、フィル君とイヴちゃん。やっほー」
 そこには動きやすそうな服を着たシオが笑顔でいた。
 昼食の時間帯だから、お弁当でも買いに来たのかな。
「シオちゃん、何か用かしら」
「お弁当でも買おうかと思って…」
「残念。今日は臨時休業なの。ほら、フィル君」
「あ、うん」
 イヴちゃんに手を取られ、俺はシオの横を通り過ぎ店の外へと出ていく。
「え、二人でどこに行くの?」
 すれ違いざま、シオから不思議そうに聞かれ、俺は正直に答える。
「買い物に行くんだ」
「私もついていく」
「じゃあ一緒に行こうか」
 イヴちゃんから「えー…」という不満そうな声が聞こえたけどなんでだろう?
 二人より三人のほうが楽しいのに。

 真昼の商店街。通りは人がたくさんいてとても賑やか。
 俺たち3人は色とりどりの店を見ながら、のんびりと歩いている。
 真ん中に俺、左にイヴちゃん、右にシオといった感じで。
 へぇ…やっぱり休日だと人が多いんだね。いつもは平日の日に買い物しにくるから、なんか不思議。
「やっぱり商店街は活気があっていいね〜。歩いているだけでも楽しくなっちゃうよねっ!」
「そう? ただ歩いているだけなんてつまらないと思うけど。あ、フィル君、あそこの店に寄りましょ」
 そう言ってイヴちゃんは俺の手を取る。
 え、なんで手? 手を取る必要があったっけか。
 いや、待ってよ。なんでそんな強く引っ張るの?
 イヴちゃんに引っ張られ、人ごみの中を通り抜ける。
 痛い。すれ違う人にぶつかって痛い…。
「イ、イヴちゃん?」
「どうしたの?」
 野菜系の食材を扱っている店に入って、ようやくイヴちゃんは俺を掴んでいた手を離してくれる。
「ふ、撒けたようね…」
 と、腕で額の汗をぬぐうような動作。
 イブちゃん、汗かいていないように見えるんだけど。しかもなに、その、すごい満足げなのは…。
「も、もう二人とも置いて行かないでよ。驚いちゃったじゃない」
 息を少しだけ切らしたシオがいつのまにか横にいた。
 冒険している人って気配とか消せるのかな。
「ちっ…さすがシオちゃんね。カレイナフルーツ並に甘く見てたのが敗因だったわね…」
「もう、行くなら行くって言ってくれないと困るじゃない」
「え、あぁ。ごめん、シオ」
「フィル君、はいこれ」
「え?」
 振り返ると、袋に入ったチルル豆を渡される。
 あぁ、よかった。そんなに重くなくて。
「えっとフィル君、使われて…いや、お仕事?」
「そうよ〜。イヴとフィル君で仲良くお仕事なのよ、シオちゃん?」
 イヴちゃん、なんでそんなに自慢げに? で、なんでシオは俺とイヴを少し睨んでいるんだろうか。
 俺、何もしてないよね?
「フィル君、フィル君の今日のお仕事ってお買いもの?」
「いや、海猫亭の掃除だけど」
「んー…じゃ、昼休み休憩?」
 あ、そういえば今は昼時間帯だっけ。言われてみれば腹が空いたような気が…。
「イヴちゃん、フィル君借りるね?」
「え、ちょっとちょっと何言ってんのよ! イヴとフィル君の蜜月を邪魔する気!?」
「フィル君がいま、お仕事じゃないから一緒に昼食を取ろうかと思って」
「なら、イヴも連れて行きなさいよ!
「イヴちゃんはお買いもの中でしょ?」
「うぐ…」
「と、いうわけで。奥義、東方煙玉!」
 そう叫んだかと思うと、どこから取り出したか丸い玉を地面へと叩きつける。
 途端に真っ白い煙が当たり一面に広がる。
 け、煙い。あぁ、なんか目が染みてきた。
 目をこすろうと思ったら、突然手を取られて駈け出していくように引っ張られる。
 事態把握すらできていない俺はそれに引っ張られ駈け出してしまう。
 ええと、この手は…シオ? イヴちゃん?
「ほら、行くよ」
 耳元でささやいてきたのはシオ。
 シオ、この煙玉、なんか過激すぎる気がするんだけど…。
 と、言う暇もなくシオが掴んでいる側とは反対の、腕、が抱きかかえられるような感触。
「行くわよ、フィル君」
 え?
 右腕にイブちゃん。左手にはシオ。
 この煙のなか、俺はどうすればいいんだ…。
 悩んでいると煙がだんだんと晴れていく。
 俺を間に挟んで、イヴちゃんとシオの二人がお互いをにらみ合ってるっぽい。
「あら、シオちゃん急に汗臭い恰好で近づいてどうかしたのかしら? 臭いがフィル君やイヴにまでついちゃいそうだわ」
「ううん、別になんでもないんだけど…。イヴちゃん、今日はこんな暑いのにそんなにくっついていると脱水症状で倒れちゃうよ? あ、それと汗で化粧が落ちちゃうよね」
 なんか、緊迫感がどことなく…。胃が痛くなってきたよ。
「うふふ、イヴの心配をしてくれてありがとうねシオちゃん」
「あはは、それよりもフィル君のほうが心配だよ、夏だから悪い虫につかれちゃったりして」
 …すごく、すごくこの二人の間が居心地悪いのは気のせい? いや、きっと気のせいだよね。ほら、二人がお互いのことを心配しているし。
 言葉だけ聞いていると仲が悪いようには聞こえないよね、たぶん。
「…そうだ。フィル君、そろそろお腹空いたよね。ほら、あっちのトッコロシチューのお店にいこうよ!」
 確かに腹が空いてきたけど、突然すぎない? そもそもなんで暑い日に熱いシチューなんだろ。
 不思議に思うのは俺だけじゃないよね。
「こんな暑い日にシチューなんて食べるわけないでしょ?」
 あぁ、まったくそのとおりだよね。
「チカ風激辛カレーに決まっているでしょ?」
 …なんでそうなるの?
 激辛カレーのほうが熱いシチューよりも暑くなるような気がするんだけど…。
 どっちも食べづらい気がするのは気のせいかな。こんな暑い日なんだから、冷たい奴とかそういう物を食べたいんだけど。
「なによ、そんな辛いもの、こんな暑いなか食べれるわけないでしょ、ねぇフィル君?」
「そっちだって、熱いスープじゃない。辛いのは健康にいいのよ。ねぇフィル君?」
 二人が俺を見てくる目が怖い。俺を見てるんじゃない気がしてきたよ。
 な、なに。このプレッシャーは何?
 どっち選んでもよくない結果が待っていそうな。あー、ここは。うん。あー…。
「…し、塩やきそばがおいしそうだよね」
 うわ、なんか白い目でふたり見てきたよ!?
「そこで塩やきそばねぇ…がっかりだよ、フィル君」
「そこでその選択かぁ。ちょっと期待はずれだよ」 
 二人して溜息をついてくる。あぁ、やっぱりそうなっちゃうよね。がっかりされるよね…。
 もう帰りたい。
 いや、買出しを終えて海猫亭で静かに掃除したいよ…。
 二人は俺を挟んでまだ言い合っているけど、もうその会話も耳元近くで言うもんだから、何言ってるか把握ができなくなってきた。
 あー…。
「だから! そういう寄り道するとフィル君が嫌がるじゃない!」
「そんなことないよ。イヴちゃんのほうこそ、フィル君に興味なさそうなとこばかり連れまわして!」
 右へ左へと引っ張られ、もう体が揺れに揺れてるんだけど。
「たまには私の言っていることに譲歩してもいいんじゃないの?」
「嫌よ」
 ゆっくりとシオが俺から手を離したかと思うと、いつのまにかその手には妙に古臭い壺が。
 もしかしてそれは…。
「………仕方ないわね。いくよ、いま必殺の悪魔の麻痺壺!」
 そう不気味に笑いつつ、壺の蓋を開け…いや、投擲態勢!?
 あれは壺の中身を使うんじゃないの? あーやって、振りかぶる感じで投げるもの!?
「ちょ、シオちゃん、なんか色々と危ないよ!」
「そうだ、シオ!」
「危ないと思ったら…かわせばいいんだよ!」
 そんな無茶な! 
 …あぁ、そっか。この暑さにやられて幻覚を見てるのかな。
「フィル君、危ない!」
 壺が俺の目の前へと吸い込まれるように近づいてくるのがゆっくりとした動きで見え、視界がまっくろに。
「…え、フィル君!」
「あぁ、フィルくーん!」
 呼びかけてくる二人の声が段々と遠くなり、消えた。
 
 ………痛い。頭が痛い。
 なんで? なんでこんなに痛い?
 痛みと共に俺は目覚める。
 視界には青空と木々が見える。
 ここはどこ?
「あ、フィル君やっと起きた〜。もう心配したんだからね」
 視線を上へと上げると、目の前にイヴちゃん。 …って、顔が近い近い近い!! この状況はなに!? 
 待って。少し落ち着こう。えーと、なんだろ。頭を動かして、状況確認。
 ここは森の中? いや、その前になんか柔らかい感触が後頭部にあったような。
 膝枕?
「うわっ!」
「きゃあ!」
 慌てて飛び起きる。ああ、膝枕なんて…。なんか、かっこ悪いじゃないか…。
「イヴちゃん、ごめん!」
「イ、イヴは大丈夫だけど…」
 思ったより、女の子の膝枕って柔らかかったけど…、いやいや。そんな考えをしちゃダメだって。
「えっと、俺、どうなったんだっけ?」
 呆れたように溜息をつくイヴちゃん。
「突然倒れちゃったのよ。もう、ほんっと驚いたんだからね〜。あ、フィル君をここまで連れてきたのはイヴなんだからね?」
「ありがと…。シオはどこにいったの?」
「あー、シオちゃんは川に行くって」
 川? 川に薬草でも取りにいったのかな。
 茂みの向こうから、水が滴っているタオルを持って、どこか安心したような笑みを浮かべる。
「あ、フィル君起きてたんだ。おはよっ」
「ああ、…おはよ」
「シオちゃん、タオル」
「ん」
シオから渡されたタオルをイヴちゃんが受け取ると俺を無理やり、イヴちゃんの膝の上で寝せられ、タオルは額の上に置かれる。
 ちょっとぬるい感じがするけど、このしっとりした感触は気持いいなぁ…。
「ほら、フィル君はまだ寝てないといけないんだから〜」
「え、いや、もう大丈夫だって!」
 そうだよ、甘えてばかりいられないよ! なんか、男らしくないじゃないか。
 ここは勢いよく起き上がって元気さをアピール!
「ほら、もう元気だよ元気!」
 元気よく起き上ったのに、二人からは疑っているような視線が。
 俺が正直に言っているのになんで疑われるんだろ。
「…ほんとかしら。どう思う、シオちゃん」
「うーん。大丈夫…かな?」
 あれ、こうすれば結構、元気なふうに見えるような気がしたんだけど。そんなでもないのかな。
「そうそう。大丈夫だから!」
 俺が大声を出した途端に、イヴちゃんとシオは二人で顔を見合せては、笑い出す。なにかおかしいところあったっけ。
 そういえば、いつのまにか、二人は仲良くなったのかな。
 ………あぁお腹空いた。すごい空腹感が。
「これからどうしよっか。そうだ、フィル君お腹空いたって言ってたよね? イヴお勧めの食堂に行こうよ」
「ん、そうするかな」
 食べ物系のお店を経営しているイヴちゃんがお勧めするんだから、きっとおいしい店なんだろうな。
「ちょっと待ってイヴちゃん。それって海猫亭のことじゃない?」
「…ばれた?」
 舌を出して可愛らしく笑ったイヴちゃんに急に手を取られて俺は連れていかれる。よろめきつつ、走り出して。
「え、ちょっと!?」
「ほらほら、しっかり走らないとシオちゃんに叩かれちゃうよ〜?」
 走りながら、ちらっと後ろを見ると、シオが怖い形相で追ってくる!?
「なんか怖いんだけど!」
 こんな状況だけど、お腹がすごく空いてくるのがわかるよ…。けど、今日は仕事で買出しとかさっぱりできなかったなぁ。本日のバイト料、極端に少なそうで怖いよ。
 …でも、ちょっととはいえ3人で仲良く過ごせたかな。
 うん、良い方向で考えるとこれもイヴちゃんのおかげかな。最近はシオと冒険ばかりで会うことも少なくなってたし。感謝感謝。
 ………でも、機嫌悪くなってるよね、このあとのシオは。こういうことがあったときは、理由がわからないけど必ず機嫌悪くなるんだよなぁ。
 あぁ、海猫亭についてからが怖いよ。
 最近の俺、不幸な目にばかり会うような気がするのは気のせいですよね?